55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

大学での学び直しを少し振り返る

 

大学で学び直しを進めて変化してきたこと

 俯瞰的な視野・発想ですかね。

 抽象と具体、俯瞰と具体とを往復することをより意識するようになったかもしれません。あと、比較から変化や特徴を取り出すことですね。優劣ではなく。

 そして、思考の出発点としての論点・課題をより具体的に絞り込むこと。

 絞り込む時に、取捨選択をするのではなく、複数の論点を意識するようになったこと。

 いままでは、少しシステム思考に偏っていたかもしれません。原因と解決点とを構造化する、見極めるという意識ですね。

 いまは、その前の段階。つまり課題発見・論点設定への思考が進んでいます。

 

自分でレポート・論文を書いてみると…

 社内文書や公文書には、「書式」があって、そのとおりに書くと、ある意味で自動的にできあがってしまうんですね。それも良し悪しがあって、どこかで思考停止になってしまうこと、書式にあわせることを優先してしまうことがあります。

 しかし、大学のレポートを改めて書いてみると、「論点が決まるまで」の時間が長いです。つまり、自分が何を感じているのか、考えているのかなど「ひっかかっていること」を言語化するまでが「産みの苦しみ」です。

 つまり、「社内文書や公文書の書式」にあわせて書いていると、課題・論点などを深く考えることがなくなるというか、そういうことを考えなくても書けてしまうのが、「書式のマジック」なんですね。これを応用すると「誰でもかける小論文」というベストセラーができてしまうのかもしれません。

 

高校生との対話でも

 論点を掘り下げること、ひっかかっていることを言語化することを意識しています。

 いわゆる「自分の言葉で」ですね(笑)

 先日、「マスゴミ」に怒りを表明する高校生がいました。それはかまわないのですが、「マスゴミ」は自分の言葉ではないんですね。自分の言葉ではない概念は、得てして「先入観」に過ぎないことが多いです。

 これを、なぜ、どうして、どのように、何がと問いながら具体化していく。思考を「具体化」する時、意識は「俯瞰」に進むという逆説があるとよいみたいです。そして、課題を明確にし、論点設定にもちこむ。

 論点を明確にできたら、学校の先生にお任せします。これが、学校の外にいる人間の役割…と最近思うようになりました。

 

断捨離やミニマリスト的生活の意味や価値も

 「棄てる」というのは、課題解決の手段なんですね。

 自分の家事・片付け能力を超えたものを持たない。そのことで、生活上の課題はかなり減ります。ただ、ないと困ることはやはり生じます。そんな時、私の場合は「図書館(公共インフラ)」「便利屋(民間)」「レンタル」に助けを求めています。こういう存在って、課題解決なんですね。

 所有から共有にすることで、日本社会に内在する課題って、結構解決できそうです。

 問題は、所有が減ると日本の産業・経済が破綻すること…。もし、共有にするのであれば、社会の仕組みから変えないといけない。でも、そんな大きなことは個人では難しい。そこまで考えて、自分の力でできる範囲で共有する暮らしを実現しようとして、地方に移住する若者が増えてきました。農業・漁業・伝統産業・教育に関わりながら小さなコミュニティを作ろうとしています。

 

 高校生にも、そんなことを考えている様子があります。

 日本の停滞・震災・コロナの中で育った若者は、その中から新しい世の中のイメージを持っているようです。そういう流れを、卒論で取り上げたいとも思いますが、その場合の論点が言語化できません(泣)。少し考えます。