◆早期退職して気づくこと
はいろいろあります。
現在名刺がありません。もし犯罪者となって新聞に載る場合は「無職」になるはずです。最も近い就労形態は「パート従業員」になるでしょう。
結局、最も伝わりやすいのは「元公務員」なんですね。
自分自身の「今」を伝えることはとても難しい。それは、世の中に、今のような暮らし方、生き方が認められていないということですね。認められていないというのは、「存在しない」という前提になります。
つまり、「勤め人、サラリーマン」であることが中心の社会になっているということです。それは、事実ですから問題ありません。ただ、「それ以外の人が存在しない」という発想・価値観で物事が進むのはよろしくないですね。
◆食いっぱぐれないという発想
私は文系ですが、昭和一桁の両親は理系です。
理系に進んだ理由は、数学が好きだったとか、そういうことではないようです。
大学進学を親に許可してもらうには理系に進むしかなかった、理系だと就職に有利という、そういうことみたいです。ですから、高校時代、私が文系を選択した時は、まぁ烈火のように怒りました。飢え死にするぞとか、面倒見ないぞとか散々な言われようで、その結果、大学の学費は本当に出してくれませんでした。
昭和20年代の日本は、「理系=ものつくり、文系=営業」という図式が強かったのでしょう。そして「食うには理系」という価値観が生まれました。派生して「男は理系」ってもあります。また、「理系=ものつくり」には時間と予算が必須ですから、「大手企業の安定感」はとても重要という…そういう感覚もあったようです。
で、食いっぱぐれないには、「理系×数学×国立大学」が両親の価値観。
ええと、結果的に全部逆らいました(笑)。今も残る父との確執の根源はここにあったのかもしれません。
◆多様性の実現はまだ先でしょうけど
組織に所属しない暮らしに変わって感じるのは、勤め人時代よりも「難しく面倒なことが多いこと」です。そして、たくさん稼ぐと「ずるい」と言われ、不安定な生活をしていると「それみたことか」と言われること。これは、社会の価値観の前提が「勤め人」ということですね。
そして、平等・公平という価値観が、「勤め人以外を認めない」という排他的・排除的思考を導きます。この発想は、「不登校は認めない」「認知症は迷惑だ」などと共通項があります。大きな概念でいうと「マイノリティーを認めない」ってことです。
◆クレームのパターンにもある
「マイノリティー」には、理解と保護とが必要な場合があります。
そういう公的支援を行うことも多いです。
そうすると、「マイノリティーだけが優遇されている・不公平だ・税金を返せ」ときます。なぜ、マイノリティーに理解と保護とが必要なのかと言えば、「マジョリティーを基準とした社会システム」になっているからですね。
早期退職し、社会的マイノリティーになって、しみじみ実感します。
そして、マイノリティーがなぜ声を上げないか、自己を主張しないかも、何となくわかるような気がします。「不安定な収入と日常とを楽しもう」という気持ちが自分に根付いてくると、いろいろなことが「どうでもよくなってくる」のです(笑)。そして、「不安は強いがストレスが少ない」という日常から、自分を取り戻していくんですね。
「現行の社会システムには守ってもらえない」わけですから、そちらには期待しない、影響されない、気にしないという心境。これが今です。
世の中を変えるより、自分の暮らしを変えたほうが良い。
そういう人が増えてくると、世の中がやさしい方向に変わる。
そういうことではなのかもですね。