◆結局どこにも出かけず
少し前に遠出をしようと荷造りまでしたのですが、そのままです。
10月以降、気分転換と買い物で出かける以外はずっと自宅。
おかげで、少しいろいろなことが進みました。
◆レポート試験の結果が返ってくる
今回履修した「東洋の芸術理論」は難しく、夏学期はその難解さに負けて一度履修を流しました。で、秋学期に取り直し。まず、レポート試験があってその結果が返ってきました。全然自信がなく、C評価なら御の字と思っていましたが、なんとS評価でした。
試験の内容はこんな感じです。
「気」という概念は、中国の思想において、重要なものと捉えられてきました。気は芸術とどのように関わりあうのでしょうか。
…こんなこと考えたこともなかったです。これが、大学1年生の選択科目なんですね。答案はこんな感じ(抜粋です)。
孔子は、芸術を生み出す人間の精神性を重視した。『礼記』でも、音楽の根源を人の心に求める考えがある。その楽記篇で、「気」は人の心と音楽との対応関係を媒介する存在として提示される。たとえば、人の心に正しい気が働きかけると、それに感応して調和のある音楽が生まれる。一方、姦悪なる気が働きかけると、それに感応して淫糜な音楽が生まれる。このように、孔子は「人の心」「気が媒介する外物」「心と外物とが感応して生まれる作品」という構造を明示した。この影響は、たとえば、鍾嶸(469~518)の『詩品』の序、「気之動物、物之感人、故揺蕩性情、形諸舞詠(宇宙生成の気が万物に働きかけ、万物の動きが人の心を揺さぶり、それが舞や歌になって表出する)」に見ることができる。 また、音楽の根源が人の心にあるという考えは、芸術を生み出す人間の精神性を重視した。作品の芸術性や演奏の完成度よりも、それを生み出す人間の「徳」に重きをおいたのである。この「人間としての徳を完成させたものを上位に置く」という発想は、音楽以外の芸術にも影響を与え、その後の中国芸術論の原型の一つとなった。同時に、政治とも結びつき、政治思想や倫理・道徳の形成にも影響を与えた。
◆学びはどこにあるか
昨晩書き上げたレポートは、ギリシア神話と現代小説の関係性を問うもの。なかなかハードです。しかし、「論語」「ギリシア神話」を読み返す時間・体験はとても貴重で、楽しかったです。これをレポートとしてまとめることはしんどいですが、こういうきっかけがないと、論語とか読まないですよね(笑)。
年をとってギリシア神話読み返すと思うことも多かったです。
つまり、受験や就職のために学んでいるわけではありません。見返りのない学びですね(笑)。評価が良いとうれしいですが、そういうこととは関係なく、しんどい思いをしながらも学ぶことが楽しいです。
価値観の根源が見えてきて、点が線になる感じが、たまらないですね。
◆学ぶってことは自己の無知を知ることなんですね
思い知っています(笑)。
芸術学部に所属して、デザイン・アートを学んでいます。学問としては新しい分野ですね。しかし、この発想から、「ギリシア神話」「論語」を捉え直すと、その本質が見えてきて、今まで言語化できなかった感覚が言葉になります。
そして、大学の先生方は、ほぼ同世代(笑)。
わが人生の「失われた30年」に忸怩たるものを感じつつ、30年で進化した学問をこれから楽しもうと思っています。