◆いわゆる認知症のことなど
「認知症」という病気があるわけではないんですね。
認知症の状態を引き起こす原因となる病気があって、それが認知症という状態を招くと考えればよいのでしょうか。その原因となる病気は、たくさんあるのですが、そのほとんどが「アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症」に分類できます。
脳細胞の減少が加齢による衰えによるものなのか、脳内の出血などによるものなのか…というあたりで、治療が可能か、不可能かという線引きができます。
◆父のことで困ったのは…
父の場合は加齢による衰えです。そして、認知症ってものは、ある意味で「二次症状」があるというのが個人的感想です。父の場合は「徘徊」でした。
母が亡くなり、一人暮らしとなりました。やはり妻を喪ったことは夫としてとても大きなことだったようです。妻に先立たれた男ってこんなにダメになるのかと…思いました。問題はそのあと…。
一種の「躁的状況」になりました。要するに、自分は長生きする。100歳まで生きる。年をとっても一人で暮らせる。誰にも頼らず自力で生活する…と言い出しました。そんな発言をするようになった実家の冷蔵庫を見ると、まぁ、そういうことです…。そんな感じですから他の場所も大変な状況で…、ご近所に助けられていることも多いのですがその認識もなく、自分は大丈夫と常に言い張るのです。
◆徘徊が始まる
健康オタクでもあった父です。足腰は元気。しかし脳は衰える。そして徘徊です。
実家近所の交番からの連絡が最初でした。なぜ徘徊??
当時、父は東京、兄が関西、私が東北でした。父は「転勤族×単身赴任」でしたから、家族が一緒に暮らした時間はとても短いです。ただ、それは本人にとって不本意であったのかもしれません。母が亡くなり寂しさもあったのだと思います。なぜ、自分は一人なのかという思いがあったのでしょうか。夕方になると散歩に出て自宅に帰れなくなる…というパターンは、家族を迎えに行こうとする行動のつもりだったのかもしれません。
そんなわけで、週末、実家に行くことにしました。兄弟交代で新幹線往復です。
掃除をして、公共料金の支払いをして、ご近所に挨拶してですね。ゴミ捨て、洗濯が怪しくなっていて、とにかく清潔に暮らしてもらうようにしました。ただ、私も兄も、仕事があります。土日に仕事が入ることもあります。金曜日に電話をして、「明日は行けなくなった、ごめん」と伝えると、その時はわかったようですが、土曜日に警察から連絡が来ます。本人は、「なかなか来ないので、駅まで迎えに行った」とのことでした。忠犬ハチ公のように終電近くまで駅にいたり、駅まで行ってこないことを思い出し帰宅途中で迷う…ということが続きました。
ひとつ言えるのは、週末行く回数が増えると安定しているんですね。ゴミも棄てていますし、徘徊もしません。というか、散歩に出てもちゃんと帰宅します。
これが、認知症の難しいところ。
◆老人ホームに入ろうよ
生前の母は、「あんたたちに老後の負担はかけないから」「老人ホーム入って暮らすから」が口癖でした。父もそう思っていると考えていましたが、どうもそうではなかったようで…「自分は一人で暮らせる、大丈夫だ」の一点張り。あげく、「お前らも東京に戻って来い」と言い始める始末…。海外生活が長く、合理的で、個人というものを尊重していた人が、こういう風になるんですね。
認知症的な状況に自分があることを認めたくない(それが認知症)という気持ちがあって、それが暴走するんです(これが認知症)。
そして(中略)、私は公務員をやめて民間に転職。東京に戻りました。
現金なもので、私が東京に戻ったことで満足したのか、しばらくして老人ホームに入ることを認めました(これも認知症)。ただ、老人ホーム選びには苦労しましが…。
なんてことを書いたのは、今お仕事で書いている原稿が医学部対象の認知症に関するものだから。医学的な理解・治療のことと、世間的な認知症に理解のギャップを整理しています。ちょっと思い出したことを吐き出す内容で申し訳ありません。