55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

あなたは神を信じますか(笑)

 

教会学校で学んだこと

 母がクリスチャンでしたので、小さいころからキリスト教プロテスタント)の教会に通わされました。

 大人が参加する日曜日の礼拝の前に子供が参加するクラスがあって、そこで、聖書の話を学ぶんですね。そこで学ぶのは、海が割れるとか、亡くなった方が三日後に蘇るとか、数匹の魚とパンとで数千人の人が満腹になるとか、ま、そういう話なんですね。

 で、どうなるかというと、小学校高学年から中学生になるころ、だんだん離れていきます。神は存在するとか、信じましょう…と言われても、「は?」となります。また、中学生になると日曜日の午前中って、塾や部活動などがあって物理的にも難しくなるんですね。

 というわけで、教会学校に通うことで、宗教とか神とか、そういうものを疑うようになりました。そういう人への警戒心も持つようになりました。ただ、神というのものが存在しているらしいことや、それを信じる人のすばらしさを認識もしていました。

 

高校の授業では(ミッションスクールでした)

 そこでは、なかなか面白い体験をしました。聖書の授業といっても、信仰を強制するもの、勧誘するものではありません。学問としてキリスト教を学ぶんですね。

 聖書の授業は、旧約聖書の「天地創造」から始まります。世界は神が創造したものであり、アダムとイブと最初の人類なんですね。で、生物の授業は「進化論」から始まりました。人類はサルが進化したものなんですね。

 高校生は、生物の先生に「天地創造」について意見を求め、聖書の先生に「進化論」をどう思うかを問いかけます。この段階で、宗教と科学、精神世界と現実世界というものがあること、そこには矛盾があること、しかしそれぞれをアウフヘーベンした世界があることを認識するんですね。もちろん、そこに正解はありません。しかし、宗教を絶対視する必要はないこと、疑問や批判を持ってもよいことなどがわかってきます。その先は、自分で考えろってことです。

 

伊達政宗の鉄砲隊

 伊達政宗は自前で鉄砲を作り、強力な軍事力を持ちました。

 宮城県北部の川からは砂金が多く取れました。これを鉄に加工し鉄砲にしたのです。ただし、それぞれの加工技術は、関東から人を招いて学びました。その人が加工技術を伝える条件として、「キリスト教を信仰すること」という条件を出したのですね。その結果、東北には多くのキリシタンが生まれました。この手法は、大航海時代、ヨーロッパの帝国列強が外交手段として利用したものです。もちろん、こういうことも高校の「世界史」で学びます(笑)。ミッションスクールだからこそというべきか、キリスト教の過ち」も授業で取り上げるのです。ここから、奈良時代に仏教を政治利用したことや、政教分離の重要性などへの派生していきます。

 ちなみに、鉄の加工、鉄砲の製造技術を学ぶために「キリシタン」になった人々は、のちの禁教令によって迫害を受け、死刑になります。

 

宗教が犯してきた過去の過ちから学ぶものは多い

 植民地獲得という「領土拡大の野心」に、キリスト教が乗っかったことが、いかんのではないでしょうかね。ザビエルの来日以降、フロイスなどの宣教師が来日し、織田信長豊臣秀吉などの権力者との関係を構築します。もちろん、そこには「貿易・軍事力提供」などの利権がからみます。そこで宣教師たちが行ったことは、結果的に、領土拡大を狙う国王の代理(代理人)ともいえます。

 昨今話題の出来事の記事を読むたび、似たような構造を感じます。

 豊臣秀吉徳川家康が、宣教師から何かを感じ、利権を放棄しても何かを守ろうとしたという点は、評価できるような気がします。それが禁教令だったのかもしれません。