◆そもそも学ぶことに目的は必要なのか?
「何のために学ぶか」という問いは永遠のテーマの様で(笑)
特に、総合学習や探究学習、キャリア教育が始まってからは、この問いをどのように子供たちに投げかけるか、そして大人はどのように答えるかが教育業界では話題となりました。
これは、その前に話題となった「なぜ人を殺してはいけないか」と同様で、扱い方にちょっと注意が必要なんですね。
◆下流思考(内田樹)では
2007年頃出版された「下流思考(内田樹)」では…
①若者が、大人に対して「勉強する目的は何ですか」と質問する
②この問いに、大人が上手く答えることができなった…
③すると「大人だって勉強する目的がわからないんだから、子供の自分たちに、
勉強する目的なんかわかるわけない。」と言って、
大人が上手く答えることができなかったことを、勉強しないで良い理由にする。
ということが示されます。
この理屈を「なぜ人を殺しては…」にあてはめると、非常に危険な結論が出ますね。
教育行政時代、授業を見学したり、ワークショップをすると、こういう発想の中学生・高校生は少なくありません。大学生にもいます。何のために大学受験までして難関大学に進んだのかと思います(笑)
◆私の中の違和感
私自身は、勉強に意味や目的を求めたことってあまりありません。
理系出身の両親(工学部と薬学部)に、文系に進んで仕事あるの? 就職できるの?
役に立つの? と言われ続け、そもそも勉強って好きだからするものなんじゃないの…と心の中で反発し続けた身ですから(笑)。
社会人になってからは、コーチングとかファシリテーションの勉強会に参加しました。これは、確かに「必要」「目的」があって参加しました。しかし、これが続いたのは「面白いから」なんですね。既成概念が次々と壊されて、でもそこに求めていたものが現れるんです。
その面白さは、自分で見つけて深めていくものだと思うんですけどね。
◆学びには大きく二つの枠組みがある
一つは、学ぶことで利益や効果を得ることです。
一つは、学ぶことで善や理想、幸福を生み出すことです。
日本の教育に、利益・効果・目的・結果を求めすぎなんじゃないですかね。
善・幸福・理想を自ら生み出すことができない大人が、「勉強なんて役に立たない、意味がない」って子供たちに言い続けた結果が、今の日本社会なのでは??
ということを思いつつ、教育・医療・福祉の現場で働き、早期退職した私には、大学の学びがとても楽しい。
なぜなら、目的や利益は全くないからです。学費は生活費を脅かしてますし(笑)
でも、学んでいるおかげで、幸福です。
早期退職の暮らしに、とうとう幸福がやってきました。
学ぶことってそういうことだとしみじみ思う今日この頃です。