55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

受験生への学習支援再開(国立大学2次試験対策)

 いろいろあった共通テストですが、受験生の歩みは止まりません。

 早速、小論文の練習問題が届きました。

 現場の先生方の周到な準備には、尊敬しかありません。

 

校則問題について

 「校則問題」がテーマでした。

 教育学部・法学部希望者への練習問題とのこと。憲法教育基本法など、法に則った考察も可能です。いずれ、多様なアプローチが考えられます。

 で、公正・公平に思考・考察を進めるためには、「自分の中の先入観」に気づき、「世間の既成概念」から距離を置くことが必要です。「自明性の罠」にかからないようにするということですね。

 

校則問題についての先入観を出してみる

 「おかしな校則」という言葉があります。具体的にどこが、どのようにおかしいのかですね。

 よくあるのが、「そもそも学校がおかしい、先生がおかしい」です。こうした「感情的な発想」を根拠とすると、「校則を廃止して生徒の自由にしろ」「おかしな先生を辞めさせろ」という主張・結論になります。

 少し知恵のある人は、「下着の着用・色」などについての校則(事実)を提示し、「人権」を根拠に論理構築します。 

 これらは、「先入観」に基づいた考察です。つまり、この問題についての「世論のコピー」に過ぎません。論理思考や、解決への発想とは評価できないモノなのです。

 

「おかしな校則」が出来上がった経緯を調査・考察してみる

 「身体髪膚之を父母に受く」という言葉があります。儒教道徳ですね。

 日本文化、そして日本人の道徳観・倫理観に大きな影響を与えた言葉です。

 校則として、茶髪・ピアス・化粧などを禁じるのは、日本文化に内在する道徳観・倫理観の影響です。ただし、若い世代はこの言葉を知らず、この感覚も薄れてきていると考えられます。

 もう一つ、体操着の下に下着を着用しないというルールについてはどうでしょう。

 体育の時間に汗をかき、下着がその汗を吸って風邪を引いた児童がいたのでしょう。

 考えられることは、大きく2つ

 ①昔の下着=繊維の質が低いため湿ったままとなり、身体を冷やしたということ。

 ②子供が風邪をひいたとき、その原因を「体育の授業→汗をかく→体を冷やした」

  と考え、学校に対応を求めた人がいるということ。

 まぁ、どちらも本当でしょう。

 

依存という病

 現代社会はとても複雑で、多様な価値観が交錯しています。

 一言で言えば正解がないわけで、一人では解決できないことも増えてきました。

 その一つが子供の教育です。

 子供は、いつか親の手に負えなくなる時がきます。それを子離れ・親離れというのですしょう。しかし、手に負えなくなったことを認めたくない人は、先生のせいではないかと考えます。あるいは、子供が髪を染めることを止めることができないから学校に頼み込むというパターンもあります。また、親は子供の味方であるというアピールのために、「髪を染めて何が悪い」と開き直るパターンもあります。

 これを、「人権」という言葉で正当化するのは公正なことでしょうか。

 親ができないことを叶えてくれるのが、良い先生・良い学校・良い教育なのでしょうか。

 

「2%」

 ネットで発生する誹謗中傷についての調査があります。

 繰り返される膨大な誹謗中傷の書き込みは、特定の人によって書かれたものに過ぎないという内容です。数字にすると2%なんですね。

 ひょっとすると、「おかしな校則」も、「全体の2%の人によって繰り返された要望」によってできてしまったのかもしれないという仮説ができます。

 もちろん、2%の中には配慮が必要なものも多くあるでしょう。しかし、中にはクレームに近いもの、学校依存、公的機関として無視できない状況における対応としてできてしまった「校則」もあるかもしれません。

 そういう仮説・検証を経て「校則について論じる」「校則を創る」と進んでほしいです。意見は多くても、それが「2%の人」による書き込み・要望だとしたら、民主主義的にはどう考えればよいかという掘り下げも必要ですね。

 

 というところから、論点を設定し、議論を展開することになります。

 つまり、ここまでが「前提」。この内容を小論文で書いても不合格。

 大切なのは、ここからです。