バブルが弾けたのは、平成2~3年にかけて。
その後、日本が変わって来たと感じたのは平成7~10年ころ(1995~1998年)。
平成7年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン、Windows95発売の年です。
◆携帯、ネットが本格的に普及しはじめた
まぁ、便利になりました。
ただ、これによって、人の悪意が可視化されやすくなりました。
個人単位の情報発信が可能になることで、未知の人間同士の情報交換の量とスピードとが飛躍的に向上したんですね。
平成7年頃と言えば、経済が低迷する一方で、科学が進み、社会の仕組みが大きく変わっていった時代。そういう時代ですから、人々の不安も大きいです。
今までの価値観では、未来は築けない…。そういう不安が、若者・保護者・高齢者を覆い始めたころです。
◆その頃、教育現場でおきていたこと
クレームの内容は大きく2つで「大学受験合格率の低下」と「服装、髪型などの生活指導案件」です。
地方の公立伝統高校が、難関大学に受からなくなったんですね。生徒の自主性の尊重が、受験で通用しなくなったのです。要するに、自分で勉強できなくなった高校生が増えたのですね。これに対し、名門高校卒業生の一部が「教師が怠けているからだ」と主張しました。「定時で帰るとは何事だ!」ってヤツです。
もう一つは、ルーズソックス・短いスカート丈・茶髪の流行です。
これも「学校で何とかしろ!」「指導しろ!」「学校は何もしていないのか!」という主張です。これが、今話題の「おかしな校則」の起源の一つなんですけどね。
◆今までは「そんなこと言うもんじゃないよ」とたしなめる人が…
地域コミュニティには「長老」という言われる人がいて、悪意の芽を摘んでくれました。これは、職場でも同じ。そういう上司が、あるべき方向性を冷静に示唆してくれました。
しかし、徐々に、コミュニティをこえた「個人発信」が強くなってきます。
マスコミも「個人発信」をニュースとして取り上げ始めます。そうなると「個人発信」は、「公的な見解」になってしまいます。公的な見解になってしまうと、悪意に対処しなければなりません。悪意に、悪意で対抗するのは嫌なんですけどね。
◆少数の悪意に振り回される…
組織の人事も…なことが増えてきました。
PC、インターネットの導入では、その分野に詳しい人に業務が偏ります。
課題に対して意見を求められて自分の考えを伝えると、じゃあ君が…となります。
こうして、少数の悪意が、誰も気づかぬうちに「組織」に入り込んできます。
悪意の芽が、組織に根付くのですね。困ったものです。