少し前から「哲学対話」にようなものが流行っています。
「なぜ人を殺してはいけないか」も、その一つ。
高校生からの質問にも、同様のテーマがありました。
◆現場では
福祉系部署で出会うのは「薬物中毒」「アルコール依存症」の問題。
教育系部署で出会うのは「未成年の喫煙・飲酒・違法薬物」の問題。
そこで必ず聞かれるのは「なぜ~はいけないのか。」
子供が飲酒・喫煙で処分されたことに不満な保護者への対応として「常識的にも法的にもダメだから」では通用しない。なぜなら、保護者も対応している職員も成人前に嗜まれているから(笑)。そこで、お酒もたばこもダメな私が呼び出されるという(泣)
◆ある方から学んだこと
人間は、自分で考え、決定し、行動する生き物です。
そこに自由があり、理性があり、人間存在の本質があります。
しかし「覚せい剤」は、人間から考えること、理性、自由を奪い、人間の本質を喪失させる存在です。
もちろん、人間ですから、覚せい剤を使用しても「考え・決定・行動すること」はできます。ただし、中毒になると、「考えることは、覚せい剤を使うことだけ」「行動することは、覚せい剤を手に入れることだけ」になります。
人間は、考えることで自己の主体性を維持しています。
しかし、中毒になると、覚せい剤が主体となり、自己はその付属品になります。
だから、ダメにしているのです。
◆「なぜ~してはいけないか」には、↑のように返事しています
そうすると、処分・入院・治療に納得できない人や、その家族と対話に入ることができました。
規則の理由に気づいてくれた方も多いです。本人・ご家族が「困っていること」を吐露し始めることもありました。
とは言え、要約すれば「人間じゃなくなるから」なわけで、言われたご本人は「今おまえは人間ではない」と言われているわけで、決して穏やかな考え方・言葉ではありません。
◆ゴシップ系週刊誌が狙うのは、人間でなくなった瞬間
芸能人のスキャンダルは「恋愛・飲酒・薬物」が三大テーマ。
なぜかと言うと、それは「いけないこと」だからという建前になっていますが、
おそらく本音は「そのことしか考えていないのでスキがあり、撮りやすい」から。
写真に撮られるのは「手をつないでいる」「飲んでいる」「テーブルに置いている」瞬間。つまり、「そのことしか考えられていない瞬間=芸能人・社会人でなくなった瞬間=無防備な瞬間」なんですね。
◆なぜ人を殺してはいけないか
上記の内容から、高校生の質問に答えてみようと思います。
ちなみに、「憎しみ」という感情も、「そのことしか考えられなくする存在」です。
思考を奪うんですね。
そういうことです。