55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

いじめられる側にも非がある…

 教育委員会にいたとき、しんどい仕事の一つは「いじめ案件」。

 そこにあるのは「いじめられる側にも原因があるのでは…」という暗黙の了解。

 これを言葉にして主張するのが「加害者の保護者」。

 さて、どうする。

 

みんな「いじめ」を「個人の問題」としか考えていない

 いじめは、「加害者×被害者」の関係性の問題というのが無意識の認識。

 つまり、当事者に固有の問題があって、それはだいたい当事者の家庭に何かがあって…というのが、マスコミ報道の内容ですよね。

 そして、学校は何をしていたのかとなる。

 ここでも「担任」「校長」などのプロフィールが暴かれて、ひどい時には、自宅住所まで拡散されて、徹底的な攻撃が始める。

 

いじめは個人の問題なのか? それで解決するのか?

 大昔、ドラマ「金八先生」の中で、傍観者理論が取り上げられました。

 「いじめ」が大きくなるのは、当事者以外のクラスメイトが、「自分には関係のないこと」と距離を置き、第三者として傍観しているから。それは事実上、いじめを黙認・公認していること、つまり「傍観者も加害者なのだ」という考え。

 この考えは、いじめを「個人の問題」ではなく、「クラスの問題~社会課題」と捉え直す発想です。ただ「第三者の我が子が加害者!」ととらえる人が多く(それは間違った理解ではない)、そうなると、結局「個人の問題」に矮小化されるので、解決につながりにくいという現実がありました。

 

個人の問題というとらえ方でいいのですか

 いじめも、「正解のない問い」ですから、「個人の問題」ととらえても間違いではありません。

 ただし、トラブルを「個人の問題」として解決しようとすると、トラブルの原因は「個人を特定する方向」に進みます。そして「担任」「校長」が処分されます。

 なぜか、加害者の罪が問われることはあまりありません。未成年だからという建前になっていますが、みんな心のどこかで「被害者にも原因がある」、つまり「被害者の自己責任」という暗黙の合意があるんです。被害者の自己責任という発想を、否定できないのです。

 

◆「個人の問題」=「自己責任」という発想になる

 生活保護を申請しようとすると「努力が足りない」と言われます。

 つまり、貧困は「自己責任」というのが、現代日本の暗黙の合意なんですね。

 個人的には「安部さん」「菅さん」は好きではないです。ただ、彼らが辞めてもコロナは終息しませんし、貧困は解決しません。そもそも、自民党が目指しているのが「自己責任型社会の構築」ですから。そのしっぺ返しで「○○辞めろ!」となっているのは「皮肉」ですが(笑)、「個人の問題=首相の自己責任」にしても、解決には進まない、ロクな後任者が浮かばない、不正は問われないのです。

 

◆「社会課題」としてとらえることが大事

 コロナも貧困もいじめも、「社会課題」なのです。

 コロナが終息しにくい、貧困から抜け出せない、いじめが否定されない「暗黙の社会システム」があり、それをみんな、暗黙の合意で承認しているのです。コロナも貧困もいじめも、「私には関係ないこと=当事者の自己責任」とすることで「自分を守っている」のですね。

 いじめや貧困の解決などを、真剣に考えている高校生は少なくありません。

 しかし、真剣に考えれば考えるほど行き詰っています。それは、純粋な高校生も、「暗黙の社会システム=いじめは個人の問題」、そして「いじめられる側にも非がある=自己責任という暗黙の合意」にとらわれているからです。

 

高校生に伝えていること

 いじめ、貧困が起きる原因を「社会システム」から導きます。

 その中には、「社会課題を個人の問題に矮小化すること」も含まれます。

 現在の「自己責任型」の社会システムでは、貧困は「当事者の努力不足」とみなされ、それを「貧困の当事者も認めてしまう」ため「救済のための社会システム」を利用しにくい社会的風潮が拡大し、機能しなくなること。最悪なのは、「救済のための社会システムをビジネス化することで貧困を解決する」という事業が絶賛され、「救済のための社会システムが貧困ビジネスとなっても、取り締まることができない」「事実上公金を搾取する仕組みとなっている派遣ビジネスが横行する」ことです。

 高校生と一緒に、現代社会の問題が起きる原因や、自己責任型ではない社会システムを考えています。それは、大学入試の「志望理由書」「小論文」となり、大学では、それぞれ学部は違っても「みんなが幸福になる、持続性の高い社会システムの構築」というテーマを共有して学びを進めるでしょう。

 

 日本の未来は若者に託すことと、あらためて思う今日この頃です。

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