不登校とか出社拒否という言葉があります。
振り返ると、学生時代、今なら「不登校」とされるであろう状況がありました。が、当時は「怠け者」「サボり」としか言われませんでしたが。
ただ、「怠け」「サボり」を許容してくれる文化と、「そういう時もあるよね」という理解がありましたね。それで救われたと思います。
◆要因・原因は様々で原因を一つにすることはできません
不登校、出社拒否、帰宅拒否などは、形は違えど「現象は同じ」と言えます。
現象は同じでも、その原因・要因は様々で、「こうすればという解決方法」はありません。金八先生を求める声も少なくありませんが、現在の価値観ではいろいろ問題が生じます。
そもそも、校長先生の自宅に住んでいる段階でどうなんでしょう(笑)
◆「依存先が少ないのではないか」という問い
教育部署で不登校担当となって、現場の先生方からお話を伺いました。また、当時は少なかったフリースクールにも伺い、保護者の方とお会いすることもできました。
そんな風に、いろいろ進めていくなかで、一つの「問い」が生まれました。
名門校・有名校・進学校で不登校になる方には「学校への期待が高く、教育熱心で、我が子のためになるならどんなことでも」というパターンが多いのです。これを別な表現にすると「高い教育を受けることが幸福につながるという価値観が強く、その実現を学校に依存している」「保護者は自分の生活を犠牲にして、我が子の教育に費やしている」ということです。
つまり、我が子と学校とに、強い依存傾向があるのです。
◆「依存先」が失われると心身の健康を崩しやすい
人生には「喪失の瞬間」があります。
思い通りにいかないこと、大切なものを失うこと、信じていた価値観が間違っていたこと…などなど、喪失には大きなダメージがあります。
では、どうやってそこから立ち直るか…。これも様々だと思いますが、結局は「喪失することなく、手元に残っていたもの」が立ち直りのきっかけになることが多いです。
それが、趣味や仕事になるか、新しい恋愛になるか、旅に出て自己の再構築をするかはそれぞれ。いずれ、喪失を埋める何かを得ること、あるいは持っていることが、自己を取り戻すヒントになります。
◆依存先が学校しかない人は
依存していたものに裏切られるわけですから、この喪失感は大きいです。
しかも、他に依存先がないわけですから、裏切られた学校に依存するしかありません。
やがて、心の中の喪失感は、怒りなどの感情となって学校に向かいます。
同時に、喪失感から立ち直るきっかけとなるものが学校以外にないので、深い悲しみにもとらわれます。
◆健康な日常を送っているうちに、依存先を増やしておく
子供が学校に行かなくなったら、保護者の方は家から出て、自分の好きな時間を過ごしましょう…というアドバイスパターンがあります。
これは、親の子離れを促進しながら、親の依存先を増やす。そして、子供や学校以外の人生の楽しみを見つけて、喪失からの回復のきっかけとするものです。
…書きながら、早期退職生活への備えに共通するものを感じます(笑)
昨年3月末の早期退職後、4~6月はとても不安定でした。
その後、移住計画、家探し、学習支援ボランティアなど、いろいろと「依存先」が増えるのと並行して、心身の状態もよくなってきました。
このブログも、依存先のひとつかもしれません。
早期退職を考えている人には、「人生=仕事」という逆説を抱えている人も少なくないようです。そういう人は、ちょっと危険かもしれません(笑)
依存先を複数持ち、完全主義から逃れることが大切だなと、つくづく思う今日この頃です。
