現役時代のデータを見直して、断捨離しています。
100GBの有料cloudを使っていると、何でも入れてしまって良くないですね。
◆なぜ捨てられないかがよくわかる(反省)
目に見えるモノの断捨離を進めてきました。
とは言え、モノが捨てられない人の気持ちがわからないわけではありません。
所有することが満足だった時代もありましたし、記録記録と称して、何でも保存していたこともありました。実家を整理しようとしても、恒例になってモノを捨てられなくなった親に手を焼く…ということも経験しました。
自分では、それを乗り越えた…と思っていましたが、とんでもないです!
私にとって、データは捨てられないモノだったんです。
◆断捨離のルールで見直す
ほとんどのデータは、1年以上見ていない、使っていない、開いていません。
断捨離の対象です(笑)。そう思って、一応見返しました。
最初に気付いたのは、いろいろな意味で、もう「古い」ということ。
「同じような場面があった時、もう一回使えるか」と問うと、結論は「No」。
そもそも、早期退職しているので「同じような場面」はもうありません(笑)。あったとしても、時間が経ち、時代が進み、私も変化しているので、使いたくありません。また、当時の記憶がよみがえり精神的に不安定になる資料もあります…。
というわけで、ばっさり削除。やればできるじゃん。
◆収納先があると、何も考えずに「保存×放置」してしまう
モノもデータも、収納先があるから捨てられないんですね。
しかし「有料100GB」を「無料5GB」にするためには、削除するしかありません。
思い出は美しいばかりではなく、古くなった学びに拘泥するのは進歩を阻む。
過去を繰り返しても仕方がない。そう思えば、覚悟も決まります。
「保存×放置」から「削除×余白」に進みたいと思います。
◆写真データを整理していると
個々の写真にまつわる記憶はあります。蘇った記憶もあります。
写真を時系列で並べると、その記憶がつながります。その頃の自分に
「おまえな、この時の無理が祟って、あとで入院するんだぞ」
「40過ぎて身体壊すと、仕事のクオリティが落ちて終わりが始まるぞ」
「この時の無理が、早期退職の引き金だぞ」
と伝えてあげたいです。
震災・災害の現場対応ですから、公務員ですから、私は家を流されていませんから、人々のために出来る限りのことをしたつもりです。罵声を浴びることも、その人が哀しみを受け容れるために必要なことで、その役割は誰かが果たさなければなりません。
一方で、支援という好意の下に隠された「悪意」とは、断固戦うことも必要でした。
そんな記憶が、写真と共に蘇りました。ばっさり削除しました。