「オレたちバブル入行組」というタイトルを本屋で見かけて、その場で購入し、はまって、そのシリーズと著者の作品を全部読んでしまったことがあります。
この小説が、TVドラマ化されて大ヒットします。「半沢直樹」です。
◆作者の池井戸潤は、私の1つ上
池井戸潤氏は、慶応義塾大学~三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。
10年勤務して退職して、作家に転身します。
私とほぼ同世代、バブル期入社で、弾けてから退職・転職。小説の主人公である半沢直樹は、入行した銀行が合併し、東京中央銀行となってもそこで働き続けますが、作者は辞めているんですね(笑)
◆バブル世代の悲哀 その1
パナソニックが、50代をターゲットにしたリストラを始めています。
職制によりますが、退職金が最大4,000万円になるとか…。ただ、実際にこの金額になる人はそんなに多くはないと思います。それでも、結構な金額ですね。
世間では、うらやましいとか、バブル世代はどこまでも得をしていると言われています。しかし、バブル世代の一人としては、いたたまれない気持ちになります。
これだけの条件を提示するということに「会社の本気」を感じます。
その実態は、辞めるも地獄、残るも地獄です。
◆バブル世代の悲哀 その2
バブルが弾けると、採用人数が極端に減り、減ったまま増えません。
その結果、バブル世代は、30歳になっても、40歳になっても「若手」なんです。
入社したばかりの若手社員がするような事務処理・庶務・下働きを、5年、10年と続ける人も少なくありません。となると、仕事に対し、年齢にふさわしいスキル・判断力・マネジメント力・専門性を培う場がありません。
私たちが入社した時の先輩社員・上司たちの武勇伝は出世です。入社して早々に現場に出て、そこで失敗しつつも実績を積み、先輩を抜いて役職に就く。「部下に入社時の指導係の先輩がいてさ」に続くのは、「その時いじわるされたから(自主規制)」。そして、「早くオレたちを抜け」でした。
◆バブル世代の悲哀 その3
大学時代にワープロが出て、就職するとNECのPC9800シリーズを購入しました。
まだMS-DOS、一太郎がフロッピーディスクで、表計算はマルチブラン。
就職は1989年(平成元年)、そして1995年、Windows95が世に出ます。Niftyでパソコン通信を始め、PHSとつないでモバイルにしたり、ネット経由でFAXの送受信を済ませます。表計算ソフトがロータスになり、accessを使うことで能率を上げる。やがて、ワード・エクセルになりマクロを覚え、PowerPointでプレゼンをします。
今では当たり前、最低限の能力ですが(笑)、当時はこれが最先端(笑笑)。
これを「便利屋」としか認めてくれず、さらに事務・庶務・下働きを課す上司にあたるか、「企画力」としてプロジェクトに参加できるかが運命の別れ道。
「IT能力」が最も高かった同僚が便利屋扱い上司にあたり、当時はまだベンチャーだった某社に転職したのは、私たちにとっては事件であり、日本の公務員の終わりの始まりだな…とささやきあったものです。
◆バブル世代の悲哀 その4
私は、競馬・パチンコ・麻雀をしません。
そういうのを覚えるべき時期に、覚えなかったんですね。
仕事も同じで、覚えるべき時期があって、そこで覚えないと一生できなくなるんです。後輩が入って来ない、業務効率化を便利屋として扱われたバブル世代は、事務・庶務・下働きのまま50代を迎えます。でも、これも「自己責任」…そういうことなんです。
◆原作に描かれるのは、バブル世代のそんな悲哀
現実をリアルに描かず、ファンタジー化する創作手法があります。
映画・ドラマにも共通します。昭和30年代の戦争映画は、戦争体験者が作りました。軍隊内務班の実態や戦場の現実を知る人たちは、リアルに描くことを選択せず、ファンタジーにして伝えようとしました。
ドラマの半沢直樹にもそれを感じました。原作の悲哀をファンタジーとして描く。
バブル世代の公務員と言う履歴には、それだけで風当たりが強かったです。
その悲哀を、少しでも共有することができる同世代がいれば、少しうれしい今日この頃です...