5月も半分を過ぎました。
今月末締切の原稿が、なかなか進みません。
カフェかファミレスで書きたいと思うのですが、現状ではそれも難しいですし
◆医療系の原稿を書いていますが
テーマにインフォームド・コンセントが出てきます。
1970年頃、この概念が医療現場に導入されたようです。
当時は、悪性腫瘍(いわゆる癌)が社会問題化した頃。
議論となったのは「告知」の問題。当時の価値観では「告知はしない」が主流。
一方で「告知」を前提とした「ホスピス」が国内に設立され、「QOL(Quality of life(生命の質)」も新しい概念として登場します。
◆インフォームド・コンセントは日本語訳されていない
コンセントは「同意」、インフォームドは「説明(インフォメーション)」。
患者の病状について医師が説明し、治療方法の提案をする。患者はそれを受け、治療方針について医師と合意をして治療が始まる。
以前の医療は「医師である私を信頼してください」「先生に全てお任せします」でした。治療の主役は医師です。そして、患者の家族が告知を望まない場合、患者本人は自分の本当の病名すら知ることなく手術台に登っていたんですね。
私の母は、70歳の時、癌が判明しました。ステージ4です。
我が家は、私以外全員「理系」で極めて合理的な思考の持ち主です。しかし、私以外の全員が「告知をしない」を選択しました。元薬剤師の母をどうやって誤魔化すのか…と反対したのは「文系」の私だけ(笑)。
インフォームド・コンセントの概念を知っていても、個々の価値観はまた別なんですね。担当医師とその関係者のみなさまには、治療以前のことで苦労を掛けました。
◆インフォームド・コンセントのジレンマ
医師は、患者に病状や治療方法を説明する義務があります。目的は、患者が自分の病状を正しく理解した上で、治療方法を選択するため。つまり医師は「患者の理解と選択をサポートする」立場になります。
で、医師に求められるのは「わかりやすい説明」。しかし、わかりやすい説明をすることで「医学的な正確さ」が犠牲になることもあります。これが医師にとって「ジレンマ」なんですね。例えば、「専門用語・医学用語」を使わないわかりやすい説明は、一般的には評価が高くなります。「あの先生、良い医者ね」と言われるかもしれません。
しかし、術後の回復が思わしくない、副作用や合併症が生じた、亡くなった…などのトラブルが発生し、これが訴訟まで発展した場合どうなるか…。
最悪「インフォームド・コンセントで正しい説明が不足していた」「義務を果たしていない」となって、医療側の責任が問われる可能性があります。
◆患者にも、自分の病と主体的に向き合い、回復への努力が求められる
現代医療は、患者が主役です(生命倫理の考え方に基づきます)。
ですから、患者自身が自分の病とどんな治療方法があるかを学ぶ必要があります。
そして、自分の仕事や家族、自分の価値観や人生観を根拠に、治療方法を選択します。これが、患者の権利であり、人権なんですね。選択の自由です。
外科的治療を望んでも、内科的治療を望んでも良い。
スポーツ選手が、トミージョン手術をするか、保存療法を選択するかも同様です。
◆新型コロナウィルスも同様であるべきなんですけどね
インフォームド・コンセントは患者主役の医療です。
患者本人、患者家族が「告知」を望まない場合は、告知をしないのもインフォームド・コンセントの原則です。
一方で、新型コロナウィルスについては「陽性・陰性」を必ず告知します。
「感染症」は、医師主導で「隔離」をしないと、大変なことになりますから。
しかし、現在の報道を見ていると、新型コロナウィルスについて「正しい病状の説明・感染した場合のリスク・治療におけるリスク」が、国民に伝わっていないような印象を受けています。
おそらく、医療の側は発信しているのですが、どこかで別の意図によって利用されたり、わかりやすい説明になりすぎて医学的な正確性が犠牲になっているような気がします。
医療関係者に感謝を…と言われます。
一般的には「私生活を犠牲にして、長時間休みなく患者の対応をしている」ということへの感謝と感じます。
それに加え、医療者が「ジレンマを抱えていること」「医療が、別の意図に利用されていること」なども想像すると、本当に感謝するしかないです。
私ができるのは、私自身が感染しないことだけ。それだけは頑張ろうと思う今日この頃です。
