企画書、稟議書、起案書、○○伺、○○届など、社会人生活の半分近くは「書類作成」の時間でした。
特に、2000年以降、PC環境の整備が「書類作成・記録保管業務」を増やしたと感じます。本当は、PC導入で「業務軽減」になるはずだったのですけどね。
◆決裁を通すために重要だったこと
企画書などを通すためのポイントは、時代で変化していきました。
平成初期は「情熱・熱量」、中期になると「具体性・客観性」、そして「データ・論理性」へと変わっていきます。
いわゆる「エビデンス」と「根拠~論拠~結論」ですね。
ただ、ここにワナがあります(笑)
◆論理的には成立していても…
絶対にあたる天気予報があります。
「明日の東京は、晴れ、時々曇り、ところによって雨か雪」
これ「論理的には正しい」のですが、天気予報としては成立していません。
例えば「殺人犯が、なぜ自分が罪を犯したのかを論理的に自己分析し、表現すること」は可能です。しかし、殺人にいたる自己分析がどんなに正しくても、犯した罪が軽減されることはありません。
つまり、論理的な正しさと、道徳・倫理・法律的な正しさとは、一致しないこともあるのです。
◆もし私が「東京オリンピック・プランA担当」だったら…
プランAですから、コロナ禍におけるオリンピック実施が使命です。
「オリンピック×コロナ」を両立するためには…
・選手のコンディション配慮→入国後2週間の待機を免除する
・危機管理 →PCR検査の優先実施
→感染時の医療体制の確保
論理的・合理的に考えれば、こういうことになります。
問題は、現在の国内状況に対して、上記は「特権」になることです。
◆論理的な正しさが反発を生む
「オリンピックのために看護師を500人派遣せよ」という依頼文書が出たそうです。
オリンピック実施の論理としては正しいです。しかし、世論には反発があります。
「東京オリンピック・プランAの担当者」は、その狭間で悩んでいると思います。ただ、立場上「オリンピック実施のための論理」を優先するしかない…。
もし、オリンピックが「平和の祭典」であるならば「神聖なもの」として行いたい。しかし、実際にはスポンサー企業の車両が聖火リレーの先頭を走る「イベント」になっている。日本人としてのアイデンティティを持ちながらグローバルに活動するアーチストもオリンピックから離れてしまった…。
◆学習支援で出会った高校生(受験生)に伝えたこと
小論文・エントリーシート・面接などのお手伝いをしました。
論理的な思考・発想・表現などを伝える中で、強調したのは「論理的な正しさがすべてではないよ」でした。
では「論理的な正しさが、コミュニティの価値観(道徳・倫理)と一致するためにはどうしたらよいか」というと、「ビジョン」「多面的・俯瞰的な視野」となります。そういうトレーニングをするのがお手伝いの内容でした。
400万円が贈与か借金かも同じですね。
法律的な論理では「贈与」が正しいのかもしれません。
でも、論理的な正しさと納得感とは、反比例することもあります。
そんな時、論理的な正しさを盾に正当性を主張しても、幸福な結論には…
