55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

北里柴三郎、志賀潔、野口英世…(新型コロナの日々に)

 小さい頃「伝記」をよく読んだものです。

 その中でも「野口英世」は、スターでした。

 1歳の時「囲炉裏」に落ちて左手を火傷し、貧しい中で学業に励み、会津若松の医師「渡部鼎」に左手の手術を受けて医師を志す。その後、渡米してロックフェラー財団の支援を受けて研究を続け…というストーリーは、今はどれくらい知られているのでしょうかね…。

 

少し前まで、医学の中心は「感染症」だった

 「北里柴三郎」「志賀潔」「野口英世」は、すべて「感染症」の研究者。

 病原体の発見、ワクチンの開発をしています。

 海外では「コッホ」「パスツール」が、有名ですね。

 この頃が「医学の黄金時代」だったのかもしれません。

 「科学の進歩×富豪の支援」という最強の環境がありました。

 

 

ワクチン開発以前、感染症対策は「隔離」しかなかった

 中世ヨーロッパの城郭都市では、国王が門を閉めて街を守ったようです。

 「進撃の巨人」みたいな感じですね。巨人を「感染症・病原菌のメタファー」とするとイメージしやすいかもしれません。

 となると、「隔離」には「封建社会封建制度」が効果的です。

 王の権威・権力が強いほど有効ですね。

 新型コロナウィルスを封じ込めつつある国は、封建的・社会主義的なシステムがある、もしくは首相などのトップが「強いリーダーシップ×科学的な対処」を実行しています。古い封建的な価値観と最新の科学への理解が「有効」だったということですね。

 

北里柴三郎は、福沢諭吉の支援を受けて「伝染病研究所」を立ち上げる

 話を戻します。

 留学から帰国した北里柴三郎が、福沢諭吉の支援を受けた背景には「東京帝国大学医学部」との対立があったようですね。

 この東京帝国大学医学部「青山胤通教授」との対立は、香港でのペスト研究で一つの決着を見ます。北里がペスト菌を発見する一方で、青山はペストに罹患してしまうのです。

 この時、青山を庇ったのが陸軍軍医だった「森林太郎」、つまり「森鴎外」です。

 当時は、帝国大学医学部閥である「青山×森」が主流派

 北里は「非主流派」だったようですね。

 もちろん、研究実績や科学的な正しさは「北里」で間違いありません。しかし、政治的・官僚的な動きは「青山」の方が上。そして「伝研騒動」が起きるわけです。

(北里の創った「伝染病研究所」を、「東京帝国大学医学部の組織」として取り込み、青山が所長に就任した。「東大×青山」による「北里×伝研」の乗っ取りである。しかし、北里を慕う多くの職員は辞表を提出して伝研を去った。そして、北里は私費で「北里研究所(現在の「北里大学」)を立ち上げた。

 

感染症対策がうまくいく要素

 歴史をひもとくと以下のことがわかってきます。

 ・隔離     → 「封建的な社会制度」×「トップの強力なリーダーシップ」

 ・ワクチン開発 → 「研究の環境の整備」×「金銭支援」

 今の日本はどうですかね(笑)

 科学的な正しさよりも、政治的な動きや広報戦略の方が優先されると「伝研騒動」のように、最も解決に必要な人が、続々と辞表を出してしまうでしょう。

 また、どうしようもない個人の事情で、ワクチン接種やマスク着用が出来ない人もいます。だからこそ、集団免疫を高めるために、ワクチン接種をやや強めに進めることも必要だと思います。しかし、「受けたくない」という感情が「人権」として優先されれば、集団免疫の効果は低下します。だからこそ、接種は「申込制」ではなく、「行政から連絡が来る」方が良いのです。

 ただ、公務員を減らし、医師を減らしてきた日本に、その余力はないかもしれません。   

 

 

 中世ヨーロッパに「ハーメルンの笛吹き男」という伝承があります。

 この伝承の背景には「感染症」があります。

 肺結核患者を収容した「サナトリウム」を舞台とした文学も多いです。

 「魔の山」(トーマス・マン)が代表的ですね。

 日本文学には、堀辰雄などの作品があります。

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           帯広の豚丼で免疫をつけましょう(笑)