という価値観があります。
間違ってはいないです。現在の世の中の仕組みは、この価値観で成立している部分も多いです。
ただし、「良い」の定義を明確にしておく方がよいでしょう。
良いが、偏差値なのか、自己との適性なのか、未来の選択肢を広げることなのか、いろいろ考えておく必要があるようです。
ストーリーを作ることは大切です。
ただ、そのストーリーは、一つの視点から見た物語に過ぎません。
一つの視点からストーリーを構築する際、そのストーリーのためのエピソードが選択されます。つまり、事実を巡るいくつかのエピソードはそこで省略されています。
「良い高校~良い大学~良い就職というストーリー」は、「一つの視点から構築された物語」です。
ですから、このストーリーだけを盲目的に信じるのは危険です。
ストーリーとは物語、つまりフィクションです。
東日本大震災も、オリンピックも、新型コロナウィルスも、もう一度「事実の検証」が必要だと考えています。
全体に「わかりやすい物語」が構築され、その物語を根拠に「重要な判断」「世論形成」がなされているような気がします。「良い高校~」という物語も同様です。この言葉を根拠として重要な判断がなされる場面があります。
ただし、この物語は「良くない高校~」という価値観を導く可能性を内在します。
そもそも、既存の物語にあてはめることが危険な時代になってきました。
だから、中高生へのキャリア教育が大切という意見もあります。
一方で、既存のストーリーではなく、自分のストーリーを描いている中高生・大学をたくさん見てきました。そういう若者には、何かを教えるのではなく、活動の場を提供する方が良いのですね。
また、そういう若者の中には、いわゆる「就職」をしない人もいます。
人も羨む名門校・有名企業に就職して、その後、「元々本当にやりたいことがあったので」と言って、儲からない仕事に進む人もいます。
私は、後者の若者の存在を知り、早期退職を決めた部分があります。
老兵は消え去るのみ。席を明け渡し、活動の場を提供する…そういうことです(笑)
でも、学びたいという意志があれば、人はどこでも学ぶことができる。
私の人生は「学ぶ」~「働く」ときて、現在「学ぶ」にいます。
そういう人生があっても良いですよね(笑)。