55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

利益衡量の発想でオリンピックを考えてみる

テーマ「オリンピックとコロナと」

 昨日の続きです。 

ojisann5560.hatenadiary.com

  東京オリンピックを中止と仮定すると、過日の「森氏の発言とそれに対する対応」は「実施の分岐点」「中止の決定打」という評価になりそうです。それは、現代社会の最終決定は「マーケティング」によってなされるからです。

 悪意のある表現で言えば「世論・感情論」「当事者ではない人の多数決」で決まるということですね。そして「本当の理由や原因」は歴史の中に埋もれてしまい、次代に引き継がれないのです…。

目次

因果の逆転

 「コロナ終息を人類の勝利としてオリンピックを開催する」と言います。

 「オリンピックを開催することでコロナに勝つ」は、論理的に破綻しています。こうなると精神論。「no go」の決断ができなくなります。

 判断の基準として「オリンピックの開催によって、コロナが拡大する」という仮説が解決できないならば、中止に傾くと思います。「死者が増える」「特別な才能を持ったアスリートがコロナに感染し、その後遺症によって才能を失う」ことは、人道的にあってはならないからです。 

オリンピックするなら

 オリンピック実施とコロナ対策を両立するなら、それぞれのために「自由の制限」をかける必要があります。ただし「リスク0」はありえません。選手・スタッフ・運営・観客から感染者・死者が出る可能性を理解して参加してもらうしかありません。この部分は、個人で対策してもらうことになります。運営は、この事態に対応してくれる「保険」を探すことになります。

中止するなら

 キャンセル料です。中止で食えなくなる人、経営が傾く企業はあるわけで、それを「コロナだから」で済ませることはできません。ここまで来たら「判断が遅れたこと」

に責任が生じます。延期による追加費用を、中止によるキャンセル料に転換できればいいのですけどね。

ケーススタディ

 昨日書いた「プランA/B/C」が出そろったところで、比較します。

 オリンピックの実施=コロナの終息が長引くことによるリスクと、オリンピック実施によるベネフィットの比較。オリンピック中止によるリスクと、コロナ対策を優先することのベネフィットの比較。などなど、すべて試算して比較します。

 これは民間のシンクタンクに依頼することになりますね。すごいお値段になりそうですけど(笑)。こういうことに富岳使えないんですかね。

 というか、使っていると思いますけど(笑)。

公務員のお仕事

 昔々、公務員のお仕事は上記のケーススタディの日々でした。

 その中で、判断基準を探し、決定~実行するってことですね。

 判断基準は、「公共性×未来×生命の尊厳」でした。この3つは結構矛盾・対立するのですが、そういう時は「即効性のある対処×問題の根源的解決」で対応していました。

 それが変わってきたのは、小泉内閣あたりからです。

 小泉政権は、政治に「マーケティング」を持ち込みました。

 つまり「世論重視」なんですね。そして行政の決定権が政治家に移行していきます。

 ここが大事で(笑)、政治に移行するなら、議会で「利益衡量の審議・判断」があるはずですが、「政治家」に移行するので恣意的な決定が増えるのです(笑)。

 公務員・行政の判断基準には「未来」が入っていました。しかし、選挙の投票率が下がり、高齢者の票が強くなると、それが「マーケティングの結果」と見なされ、あらゆる決定から「未来」が失われていきます。

個人的ボヤキ

 というわけで、今はある意味で「政治家の天国」。それを支えているのは、政治家と同世代の富裕層(笑)。

 割を食っているのは、生命と未来に関するお仕事。医療従事者・福祉・介護・教育・科学ですね。格差が進み、生活に余裕がなくなってくると、芸術・エンタメへの風当たりが強くなります。

 ちなみに、日本は「観光とサブカルチャーを基幹産業にするとのことなので、この分野の風当たりはあまりない。

 若者よ、選挙に行こう! 投票権を18歳にしたのはそういうことなんです(笑)

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