55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

徒然草(吉田兼好)を読み直す

テーマ「読書」

 つれづれなるままにひぐらし…ですね。

 ちょっと心がざわついてふと手に取ると、いろいろ感情移入してしまいました。

 年を取り、世間と距離ができてからの読み直しです。

 

つれづれなるままに…

 現代語訳は「ひまで他にやることない」となっています。

 なぜ「ひま」なのか…

 世間から忘れられているからですね(笑)。

 「やることがない」とはどういうことか…。

 「やりたいことができない」という読み換えも可能かもしれません。

 年を取ると、「同じ失敗を繰り返すな」と言いたい衝動に駆られることがあります。しかし、それを伝えようとすることは「老害的行為(自己の経験の押し付け)」、失敗からの学びは「本人」しだい、世直し的言動をすることは恥…ということも年を取ってわかっています。

 そこで、心に浮かぶことを書きなぐってみるということですね。

 そうすることで、心の整理ができ、落ち着くのです。

 

仁和寺の法師

 仁和寺は、兼好の自宅から距離はありますが、見下ろす位置にありました。

 当時の仁和寺は、勢力・権力・武力を併せ持つ巨大な存在で、人々の「範」となるべきもの。

 しかし、宴会で騒ぎ、調子に乗って「鼎」を被って抜けなくなるとか…感染症対策を発表した日の夜に「会食・宴会」をするとか…、兼好からすれば「何かイライラする」ことが多かったのですね。

 一言で言えば「仁和寺の常識と世間の常識が食い違っている」「子供っぽい」わけで、もっと身を律しないと「大きな失敗をするぞ」という思いを伝えたかったのかもしれません。

 世間が乱れたり、天災に襲われた時、宗教はその原因を「日頃の行いが良くない民間人」とする無意識の発想を持ちます。しかし真相は「自分がクソ」だった。つまり「宗教に携わる者の不信心が原因」なのだぞというオチ

 ひょっとすると、兼好もかつて「自分がクソ」だったというオチの経験者??

 だとすれば、「自省・自戒」を込めて書き綴っていたのかもしれません。

 

先達はあらまほしきことなり

 念願の「石清水八幡宮」参詣を果たし、本人は大満足

 しかし、よく話を聞くと途中で引き返しており、本殿にお参りはしていない。

 他者から見れば「無知、思い込み」とわかりますが、本人が自覚することは難しい。だから「経験のある人、知識のある人」の言うことをよく聞きなさいという言葉。

 「感染症に詳しい人」「経済のことをよくわかっている人」の言葉に耳を傾けなさいということですね。

 そうでないと「途中だったことに気付かず終わらせてしまう」「感情に流されて、客観的な判断ができなくなる」「思い込みにとらわれて、物事の本質に気付くことができない」という過ちを犯しますよ…。

   そんな警告かもしれません。

 同時に、年を取った兼好は「自己の命について導てくれる先達」を求めていたのかもしれません。

 そんなことを、つれづれなるままに思う今日この頃です。

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         (仁和寺ではありません。長野県の善光寺