55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

新型コロナが可視化した課題

テーマ「新型コロナの日々に」

 災害は「社会課題」を可視化します。

 今日が月命日でもある東日本大震災が代表的なもの。

 災害復旧には「社会課題」の解決も必要で、それ故に「復興」という言葉が使われたと言えます。新型コロナも同じですね…。

◆目次(新型コロナの終息を阻むもの)

課題の存在を認めない人がいる

現場には「課題解決」のスペシャリストがいるはずですが…

 課題解決が進まないのは「課題の存在を認めない人」の存在。

 例えば「人口減少」という課題を認めない人っているんです(笑)。

 「何で人口が減るのだ」とそもそも論から始まり、「何で今になって言い出すのだ」と責任論に進みます。

 というわけで「人口減少という課題解決・対応・幸福な街づくり」は、公的な仕事・議論になりません。

 場当たり的な対処療法か、他の地域がやっている方策やイベントをコピーするくらいしかできないのです。

 

新型コロナでも同じような現象を感じます

 未知な情報・不利な状況を「自分を否定するもの」と認知して、拒否する人っています。

 このタイプの人が「上司」「オピニオンリーダー」だと、解決には向かいません。

 まず、有能な人から順番に「退職・転職・異動」を考え始めます。

 また「オリンピック中止のシュミレーション」はこっそりすることになります。

  

大きな概念が困っている人の救済のじゃまをする

赤ひげ診療譚山本周五郎)」では…

 通称「赤ひげ」は、貧乏な人に無料で診療しますが、大名にはとんでもない高額の治療費を請求します。

 これは「平等・公平という大きな概念」に反しますね(笑)。

 しかし、「患者の地位・身分・経済力に関係なく治療を行う」という観点では「医師としての社会的責任(医療を全ての人に届ける)」を果たしています。

 学校の先生も「数学のわかない子供」に手をかける、「美術の才能がある子供に高度な助言をする」ことがあります。個々への対応ができる良い先生です。

 しかし「平等・公平ではない。特定の生徒にひいきをする」と指摘され、処分されることがあります。

 

新型コロナでも同じような現象がある

 困っているところに支援しようとすると「不公平だ」「平等の原則に反する」という反論が出ます。

 例えば「10万円の一律配布」で「富裕層には配布すべきではない」という論点がありました。議論のために実施が遅くなる、配布しても「使うことに罪悪感」を感じて貯め込んでしまうなどの現象が生じました。

 つまり「大きな概念や正義感」は「困っている人に届ける」「お金を回す」という本来の目的の達成度を低下させることがあるのです。

 「困っている人を救済すること」で「平等・公平な社会を実現する」はずですが…。

 「平等・公平という大きな概念や正義感」が先になると「困っている人は自己責任」になります。

 これが今の日本社会と、自粛警察かもしれません。

 

新型コロナに「ボランティア」はない

ボランティアに感謝

 自然災害の場合、まず「自衛隊保安庁・警察・消防・病院」などの公的インフラが「救助・救援・支援」を実施し、一定の段階を過ぎると「地元住民による復旧」にシフトしていきます。

 このシフトチェンジの段階で「ボランティアの支援」が入ります。

 ボランティアの活動は、地元住民だけでは不足する「マンパワー」と、「公的な支援が難しい困りごと」の解決を導きます。本当に感謝です。

 

新型コロナはボランティアでは対応できない

 医療の現場は、専門家しか入れません。教育・介護・福祉の現場も以下同文。

 そもそも感染症ですから、人の動きは最小限度に留めることが優先。

 ですから、自然災害のような「ボランティア」の動員ができません   

 終息が見えず、どんなに疲れていても、最初から最後まで専門家だけでやり切るしかないんですね…。申し訳ないです。

 

まとめ

1,「新型コロナ」という課題の存在を認める

2,「困っている人を救済する」という視点の優先

3,「マンパワーを増やす以外」の支援策

4,「感染は自己責任~自粛警察」の正義感から離れる 

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         (昔の行きつけのお店の「コムタン」です)