テーマ「普通の人ができることが…」
多様性を認め、個性を尊重することは大切。
しかし、その対象が「他者」だけになっていることがあります。
自分で自分の「多様性」「個性」「思考のクセ」を認め、尊重することを忘れがち。
強いて言うなら、これが今年の抱負(笑)
◆目次
自分の取扱説明書
◆普通の人ならできることが私にはできない
だからと言って、普通の人ができることをできるようにする必要はなし。
自分にできないことをできるようにする必要もなし。
一般的な価値観や言葉から自分を解放する。
例えば、向上心・積極性・努力などの「自分に鞭打つ言葉」とはお別れ(笑)
◆俗世間と距離を置いた隠居生活
「マイノリティ」「困っている人」が気になるという思考のクセがあります。
これは、業務で活かされた面もあります。しかし、多数決で負ける、解決できなければ罵声を浴びる、過剰な期待を背負うなどのリスクもあります。
ただ、早期退職して「個人」になりましたから「リスク」からは遠ざかりました。
「思考のクセ」の修正は必要ありません。自分が思う「美しいもの」「善きもの」を大切にしたいと思います。
向上心がないと良く言われました(笑)
◆知りたいこと、好きなこと
大学の専攻も、お仕事の専門性も「自分が知りたいこと」でした。
「つぶしの効く学部」に進んで「良い会社に」という発想は昔からありません。
「知りたいこと、好きなこと」を学び、仕事に活かしてきただけ(笑)
ただ、そういう生き方は少数派なんですね。
◆大学の偏差値や出世にあまり興味がない
私自身は、都内のしがない私大出身。
ただ、母校の偏差値より、そこで「学んだこと」が重要。
「年齢に相応しい責任あるポジション」に就いても、ポジションが上って「現場×専門性」から遠ざかるのは本意ではない。
そんなわけで「偏差値×出世思考」の価値観からは攻撃を受けました。曰く、向上心がない、努力が足りない、好きなことばかりしている、と。
自他の区別を明確にする
◆自分の価値観で他者を評価する必要はない、評価される理由もない
早期退職して「会社」「世間」から解放されました。
もう「競争・比較・対立を根拠とする評価」にさらされることはありません。
私は私で良いわけですし、私の価値観を根拠に他者を肯定・否定することも、他者から肯定・否定されることもありません。
「評価」ではなく「承認」があれば良い。
「承認」することで「自他の区別」が明確になります。
◆努力も向上心も不要(笑)
努力や向上心は「比較を根拠とする相対的価値観」かもしれません。
「知りたい」というだけで50年以上生きてきたのですから(笑)、それでいいんじゃないかと思います。
周囲と比較して、努力が足りない、向上心を持てと自分に鞭打つ必要はありません。
自分を赦し、自己本位でと思います。
まとめ(自分の取扱説明書)
1,努力、向上心などの「自分に鞭打つ言葉」は不要
2,「自分の知的欲求」を承認する
3,「美しいもの」に触れることで「攻撃性などのデトックス」を進める
4,「自他の区別」から自己本位な生き方を探る
都内にある小さな路地。この路地の奥に「樋口一葉」が暮らした家があります。