テーマ「早期退職の日々」
昨日の記事で昔の個人的なバッシング経験を書きました。
書くことで、パンドラの箱が少し開きました。
気付いたのは「私は幸福になってはいけない」という無意識の思い込み。
罪悪感、心身の不調、自分に対する無駄な厳しさの根源が見えてきました。
◆目次
自分への抑圧の原点
◆「セーフティネット」の担当を通じて
私が担当したのは貧困、心の問題、家庭問題が中心でした。
東日本大震災では、避難所の運営から被災された方の生活全般のサポートも。
お会いした方は心の美しい方ばかりでした。ただ、それ故に心がすさんでしまった方もいます。
現場では、人々の負の感情、すさんだ言葉を浴びることもお仕事でした。
◆世代、仕事、立場
バブル時代に社会人となり、公務員に転職し、東北勤務中に震災を経験しました。
「バブル世代ですか」と嘲笑され、「税金で働いているくせに」と罵声を浴び、「震災経験したからって偉そうにしているんじゃないぞ」と罵られます。
つまり、私は幸運な世代に産まれ、経済的に恵まれた暮らしをしているにも関わらず、震災という免罪符を持つ存在なんですね。確かにとても嫌なヤツです。
自分の中に芽生えた発想
◆自分は幸福になってはいけない
自分の世代、仕事、経験は、努力なく手にしたもの。
しかも、それは周囲の人々よりもとても恵まれている。
だから、私は幸福になってはいけない。
私はバブル世代で、公務員で、被災者だから幸福になる資格はない…そう思うようになっていました。
◆もっと自分を犠牲に
この頃、残業時間は書類上で200時間に近づいていました。
それでも、公務員であること、震災で生き残ってしまったことへの罪悪感は増すばかり。
給与をもらうことを苦痛に感じるようになり、幸福であるうちは人を救済する仕事はできないと思うようになっていました。
私は幸福になってはいけないという思いに気付いたのは最近
◆公務員から民間非正規社員に転職して
立場が反転して知ったのは、社内では「元公務員」だから、社会では「非正規」だからという理由で物事が進まなくなること。
(もちろん、「公務員憎悪」とも言える先入観で判断する人は少数派です)
その時、私は反論しませんでした。理由は二つ。
・私の未熟さが「公務員・非正規」と表現されるのは事実だから。
・「私は幸福になってはいけない存在」ですから、反論する権利はないという思い。
◆早期退職後に来た心身のどん底から持ち直す
持ち直しは、自分の幸福を求めても良いのではないかという意識の目覚め。
今の私の目標は「自分の好きなことを学び、経験を活かして稼ぎを作る」こと。
・「稼ぎ」は、震災復興でお世話になった教育系NPOに寄付する。
・寄付すれば少しは税金が返ってくる。
・返って来た税金はまた寄付をする…。
この循環を生むためには、まず「稼ぐこと」が必要。
「稼ぐこと」が、子供たちの未来創造や幸福実現に還元されるなら、私はとても「幸福」です。そう思った時、私の中で何かが変わりました。
まとめ
1,離れた方が良いもの
・私は幸福になってはいけないという思い
・自身を犠牲にして働くこと
・他者の先入観による評価
2,大切にした方が良いもの
・自分の幸福実現と稼ぐこと
・自分の時間と自分のお金
・過去から学ぶことと未来を根拠に発想すること
3,割切った方がよいこと
・自分と異なる意見はスルーして良い(戦わない、関わらない)
・課題解決よりも、希望ある未来の創造をイメージすること
・短所より長所、現実より理想、課題より資源を優先する発想への転換
4,自己本位と則天去私
・利己的でも依存的でもない自己の創造
・自己を起点とする循環を意識すること
・循環が生まれれば、自分の幸福と稼ぎとは確実に他者の幸福実現への貢献になる
(夏目漱石、熊本時代の旧家にて)