テーマ「立身出世という価値観」
小説「こころ」の「キーワード」ですね。
ストイックな生活を実践する「K」は、自他共に認める「向上心に満ちた人間」だったようです。
では「向上心がない人間」には価値がないのでしょうか。
何か目標を設定し、その実現を目指すことだけが人生の価値なのでしょうか。
◆目次
高校生の志望理由書を見て
◆どの高校生も苦労していた
その職業・その大学を選んだ理由を説明することに悩んでいました。
中には「劇的な体験」を持ち、その体験に発する「夢」から書き起こすことができる高校生もいます。
しかし、いずれ「人生の選択」は「出会いと偶然の積み重ね」に発するもの。
でも、「偶然」では「志望理由」にならないというのです。
◆自分史から偶然を探す
ワークとして取り組んだのは「出会いと偶然」を意識化すること。
「出会いと偶然」に「そもそも」が潜んでいます。
中には「挫折体験」「長年夢見ていたことを諦めたこと」に「志望理由の根源」があったりもします。
しかし、挫折に発する志望動機は「かっこ悪い」「評価されない」と思われがちです。
偶然を評価しない大人もいる
◆目標~努力~成功しか評価できない大人たち
出世を目指して努力し、実現してきたタイプの上司とは、あわないことが多かったです(笑)
彼らは「出世意欲」を「向上心」として評価します。
「専門バカ」として現場で働くことを優先するタイプだった私は、「向上心がない」と上司に叱責され、人事評価でも相応の扱いを受けることがありました。
◆成果が目に見えないものは評価されない
そもそも「公務員のお仕事」には「成果が目に見えにくいもの」「評価は10年後」と言えるものが多いです。
「即効性のある施策」は「副作用も大きい」ことは、新型コロナの政府対応をご覧いただければおわかりかと思います。
そこには「即効性のある政策の立案と、その実現に努力することが向上心・忠誠心という価値観が見え隠れします。
ちなみに、人口減少、少子高齢化、教育・福祉・医療という「未来に影響が大きく」「公共性の高い」「健康で文化的な生活のためのライフライン」への対応は、成果が見えにくいお仕事の典型。そんなわけで評価と予算が回ってきません(笑)
向上心も大切だけど、まず自分がどのように生きるかを考えることが必要
◆ある調査によると、たった9%に過ぎない
中学・高校時代に考えていた職業や研究を大人になって実現できたのは9%だそうです(法政大学「児美川孝一郎教授」の著書より)。
となると、職業や研究という目標を設定し、その実現に向けて禁欲的な努力をするというモデルの成功者は、10人に1人ということですね。
有名アスリートがそうでしょう。大谷翔平とかね。
一方で、戦力外通告を受けセカンドキャリアを模索する人もいます。
◆どんな人生を歩むか
私は「流れに任せる」方が上手くいくことが多い人生でもありました。
出会いと偶然に任せた決断の方が、幸福に近づくのです(笑)
「目標を定めてその実現を目指す」「自分の意志を明確にする」とロクなことにならないんですね。
特に「プロジェクト型課題解決」においては「出会い」がとても重要。事前の計画通りに進めても解決には近づきません(笑)。
人生も同じで、自分の意志よりも「出会いと偶然」に任せる習性がつきました。
その代わり、出会いと偶然は「いつくるかわからない」ので、常にアンテナを張り、一定の緊張感を保つことは必要でした。
◆しかし、世間の価値観は「目標と意志の明確化」を求めます
そんな時は、相手が喜びそうな「フォーマルな理由」をでっちあげます。そこには「精神的向上心」も添えます。
高校生が書いた志望理由には、「大学が喜びそうな理由」「精神的向上心のアピール」がありました。
そうじゃないと「合格らない」と言うのです。
高校生の言葉に、昔の記憶が重なり、何とも言えない気持ちになりました。
やはり、大人が変わらないといけない。さもなくば、老兵には去ってもらうしかない。多様性と言いつつ、結局一つのものさししかない現実がそこにありました。
まとめ
1、大きな目標を目指すことが「向上心」という価値観がある
2、しかし、人生は「出会いと偶然」の積み重ねでもある
3、出会いと偶然を、必然と目標に高めることが求められる
4、出会いと偶然を、必然と目標に高める時、主体性喪失のワナがある。
「大人が喜びそうなこと」
「努力・禁欲を精神的向上心として評価する価値観」を優先し
「自分の本当の気持ちを否定・封印」してしまうのは危険。
「出会いと偶然」を掘り下げることで、自分の価値観と出会い、
自分の生き方を確認して欲しい。
自分の価値観、自分の生き方を確認することが「自他の区別」になると思います。
Kも先生も「自他の区別」が未熟で、そのために自己の価値観を相手に強要していました。
この事実に気付いた時、二人は自己の人生を悔い、命を絶つのです。
一つのものさししか持たない人間には、そうするしかないんです。
(文京区にある夏目漱石旧居跡のオプジェ。
由来は、この家で「吾輩は猫である」を書いたことによります)