テーマ「文学・読書」
小説「八日目の蝉」は多くの人の心をつかみました。
映画化されたこともあり、ネット上にはその感想があふれています。
作品は、「大衆小説」として読まれているようですが、文芸作品として再評価も進んでいます。
◆目次
作品情報
タイトル 八日目の蝉
初出 平成17年11月~平成18年7月(「読売新聞夕刊」連載)
出版 平成19年3月(中央公論社)
受賞 第2回中央公論文芸賞
映像化 平成22年NHK総合テレビでドラマ化(主演 檀れい)
平成23年松竹配給で映画化(主演 井上真央)
作者 角田光代
物語 ・どしゃぶりの雨の中で起きた誘拐事件。犯人は父の愛人。
連れ去られたのは、私。
私はその人を、本当の「母」だと信じて生きてきた。
・優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。
(映画版キャッチコピーより引用)
「私」の視点から(ストーリー)
◆優しかったお母さん。自分に愛情を注ぎ、いつも一緒だった母。
周囲からは「聖母」「仲の良い母子」と言われていた。そして、物心ついた頃から過ごした小豆島の人々もみんな優しかった。
その母が突然消える。
母が消えると、「本当の母」と言う人がやってくる。
◆「本当の母」が言うには…
優しかった母は自分を誘拐した人で、その人は父の不倫相手で、私は生まれてすぐに誘拐されて母と一緒に逃亡生活を送っていて、小豆島はその逃亡先なのだと。
信じたくないその言葉を裏付けるのは、新聞・週刊誌の「不倫相手の子供を誘拐した鬼畜のような女」「出産直後、夫の不倫相手に娘を誘拐された悲劇の母子」という記事。
しかし「本当の母」には違和感しかない。周囲は「誘拐された悲劇の子」である私を憐れみと好奇の目で見て、微妙な距離感で接してくる。
「私」は「2つの物語」の間でジレンマを抱える
1つは、「母」との時間から紡ぎ出された自分の物語。
1つは、「本当の母」と暮らすようになってから知った自分の物語。
2つの物語は、私の中でジレンマとなります。「本当の母」を信じるなら「母」を否定しなければならない、「母」を信じるならば「本当の母」を否定しなければならない。
「本当の母」は、自分に対して大きな声を上げたり、否定をしたりする。「本当の母」には「違和感」しかなく、「実家」と言われる場所はモノが散らかっていて落ち着かない。しかし、この人が血のつながった「本当の母」。「母と信じてきた人との物語」は嘘。新聞や週刊誌で報道されている「本当の母との物語」が事実。
こうして、私は「母との物語」を喪失します。
「母との物語」に内在するもの
◆この小説には「愛を試す設定」があります
「既婚男性を愛する」「血のつながっていない子を愛する」の二つです。
母は父の愛人でした。母は父の子を宿しますが、不倫という事情から子供を堕ろします。その時、母は子供が産めない身体になります。母が知るのは、自分が妊娠したのと同じ時期に、父と「本当の母」との間にも子が授かり、無事に誕生したこと。
立場は愛人でしたが、父を愛していた母に、父の子が見たいという衝動が湧く。愛する人の子供を一目見たい。
そして愛する人の子供を見た時、思わずその子を連れ出してしまう(その子が私)。
◆母は私を愛し慈しんだ。
血のつながらない子です。しかし、その子は愛した男性の子供でした。自分のところに一瞬やってきて去ってしまった子の姉妹でもあります。
「愛する男性から授かった子」という意識が芽生えれば、「愛する人との間に誕生した我が子」として愛を注ぐことができました。
◆「母との物語」には「愛についての教え」があった
私は「母との母子関係を再現」すれば、「愛」を学ぶことができました。
しかし「本当の母」の登場で、母との物語は封印されました。
「母との物語」を封印された私は、「愛」を学ぶ機会を喪失します。
物語の喪失
◆私にとって「母との物語」は、愛に溢れた美しい記憶だった
しかし「本当の母」と「マスコミ報道」は、その美しい記憶を「鬼畜の所業」「本当の母と私の悲劇」と評価します。私は「母との物語」を喪失し、「本当の母とマスコミ報道による物語」の中に閉じ込められる…。
このストーリーの意味することは何か。それは「物語の喪失」です。
◆「物語」は自己の存在に「意味」「価値」を付加するもの
私は「本当の母」の出現によって「母との物語」を喪失します。「本当の母」と一緒に暮らす「意味」、自分が存在する「価値」がわからなくなります。
そして、本当の母を愛すること、人を愛することを知らないまま成長します。
大人になった私は、かつての母と同じように既婚男性と不倫関係になり、その男性の子を宿します。
それは「本当の母」が語る「母の物語」の再現。
自分の記憶にある「母の物語」を喪失した私は、「本当の母」が語る母の物語の中でしか生きることができない。それが「負の連鎖」だけが繰り返される理由。
負の連鎖から抜け出すためには「母との美しい物語」を受け容れることが必要。
小説の最後で、私は「自分の記憶」を信じ、アイデンティティを取り戻すことができたのか…。
早期退職からの「気付き」に「喪失への思い」があります。
退職によって得た自由・幸福の一方で、今までの人生は何だったのかという疑問にもとらわれます。
この疑問を拡大していくと「物語の喪失×負の連鎖」になります。
退職してからの読書は「再読」が楽しいです。心の奥の深いところに届きます。