テーマ「半沢直樹にみるバブル世代の哀愁」
話題のドラマですが、池井戸潤の原作小説のタイトルは「オレたちバブル入行組」。
原作小説に感じたのは「バブル世代」の友情、悲哀、そして風当たりの強さ。
しかし、テレビドラマで話題になるのは、歌舞伎役者でもある出演者の顔芸(笑)。中には、大声で渡り合うシーンが不愉快という否定的な感想も。それはそれでわかりますが、個人的にはちょっと寂しいです。
◆目次
オレたちバブル入行組
作 者 池井戸潤(1963年生まれ、1988年三菱銀行入社)
初 出 2003年11月~2004年9月(別冊文藝春秋に連載)
2004年12月(文藝春秋で単行本化)
2007年12月(文藝春秋で文庫本化)
映像化 2013年 7月(TBSにてドラマ化)
内 容
大阪西支店融資課長「半沢直樹」は、浅野支店長の命令によって「西大阪スチール」に5億円の融資を行うが、直後「西大阪スチール」は倒産。債権回収か、さもなくば出向かという危機に陥る。
主人公「半沢直樹」のプロフィールと背景の時代
1989年4月に産業中央銀行(後、東京中央銀行に吸収合併される)に入行。
この年の1月、昭和天皇が崩御され元号が「平成」になります。昭和天皇の体調は前年から芳しくなく、国内には自粛ムードが広がっていました。しかし、2月の大喪の礼が終わると徐々に平常に戻っていきます。
任天堂がゲームボーイを発売(4月)、三菱地所がアメリカ・ロックフェラーセンターを買収(11月)、マクラーレンホンダがF1制覇、日経平均株価が「38,957円44銭」を記録(12月)と、日本はバブルを謳歌します。
政界では、竹下首相の秘書の自殺、宇野首相がスキャンダルで退陣。
世界では、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、チャウシェスク政権崩壊
初任給の平均は、大卒:20万円、高卒:16万円。公務員になった大学の同級生は、国家:18万円、地方:16万円。松任谷由実と久保田利伸が流れ、ホイチョイプロダクションがスキーブームを作った頃。
文系学部の就職先として「銀行・証券」「広告・放送・出版」「商社・建設」が花形だった時代です。
小説の初出が2003年ですから、半沢直樹は40歳前後。
2003年は、小泉純一郎首相×福田康夫官房長官の時代。
日経平均株価の終値は「10676円64銭」。郵政民営化に加え、バブルの負債を抱えた銀行に公的資金が注入されています。
バブル崩壊から十数年。大量採用されたバブル世代への風当たりは強く、就職氷河期世代の後輩社員からは「バブル世代は就職活動も楽で、給与も良くて、羨ましいです」と突き上げられ、バブルを忘れられない上司からは、現代ならパワハラ・セクハラ認定確実な無理難題が飛んできます。そんな中、立場と責任とを負い、出世か窓際かの分岐点を進みつつ、家族を守る半沢直樹の姿に、ちょっと自己投影してしまうのです。
バブル世代が若き日に持った疑問
就職では、大学で体育会系運動部に所属したことが評価された時代。
それは、命令に忠実で、理不尽に耐え、馬車馬のように働くことができるという評価。しかし、それが身に付いた「4年=神、1年=奴隷」という価値観には疑問を持っていました。その場で逆らうことはしませんでしたが、自分が4年生になった時「1~4年=みんな人間」に変えたのもバブル世代です。
社会人になると、再び「上司=神、新入社員=奴隷」に戻りましたが、バブルのおかげで仕事は順調、給与も恵まれていました。しかしバブル崩壊後、状況は一変。それでもタテ型の価値観だけは変わりません(笑)。
一方、下の世代からは体育会系出身者が減っていきます。採用数減少によってペーパーテストの結果が重くなり、部活動よりも学習中心の学生の方が高い結果を残すからです。こうして、バブル組は異なる価値観に挟まれていきます。
バブル世代の価値観
上の世代の理不尽な命令には、愛想笑いで「面従腹背」
下の世代の「盾」となり、行き過ぎた縦社会、理不尽から部下を守る
出世は「上司と派閥の力」ではなく「実力・実績」で
お仕事は「ビジョン」「チーム作り」「合意形成」を大切に
部下には「指示」より「任せる」で
決定は「夜の飲み会」から「業務時間内のミーティング」へ
コミュニケーションも「夜の飲み会」から「チームビルディング」へ
バブル世代の哀愁
育ってきたのは「体育会系タテ社会」。ですから、上司の言わんとすることはわかりますし、自分の中にも同じ感覚・発想・思考があることは否めません。そのためか、上司と意見が異なった場合、「対立」「対決」という関係性に進むことが多いです。
上司からは「先頭に立って強いリーダーシップを発揮すること」を求められますが、部下には「サーバント・リーダーシップ」で接することが必要です。運動部出身者には、先輩の説教・暴力を経験した者も少なくありませんが、それを部下にすることはできません。
自分が育ってきた時代の人間関係・価値観で部下の教育はできません。経験を棄て、人づくり・組織作りを学び、実践しつつ創造することが必要です。
その時、身近に信頼できる同期、創造を共にしてくれるチーム、ロールモデルとなる上司がいるかいないか…。挑戦・創造に伴う失敗を許してくれるか…。ここが運命の分かれ道です。
就職がバブルだっただけで…
経済的時代劇、キャスティングの妙、十倍返し…などが話題になっていますが、同世代として共感するのは、半沢直樹の仕事ぶり。
部下への接し方、情報と社外人脈の活用、社内でサバイバルと共にする同期との関係性。議論となれば豊富な情報をベースに理論武装し、相手の弱点を叩き、会社の常識は世間の非常識とばかりに正論を述べ、対立を恐れず主張を通し、上下関係での決着を否定する。封建的な場では「大義は正義として認められないこと」がわかっていても、それを通すしかないと腹を括った言動。
多分、半沢直樹は正しいのです。でも、組織の中では危険な人。だから、出向にもなる、スケープゴートにもされる、リスクの大きな仕事が降ってくる。それは、たまたま入行が「バブル」だったから…。半沢直樹の能力・人柄からではないんです。そこにバブル世代の悲哀、小説のテーマを感じています。
「世の中には二通りの人間がいる。バブル世代とそれ以外…」という迷言(!?)を吐いて職場から顰蹙を買ったのは、他ならぬ私。
本日の内容、あまりにも個人的なのですが、ちょっと郷愁を込めて。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。