テーマ「若者の優秀さはどこに?」
私たちの世代は、飲み会で仕事や人間関係を学びました。その中には「銀座のマナー」「料亭の使い方」も。一日は、職場のちょっとした清掃・整理整頓や雑用からスタート。もちろん始業時間前(笑)。歓迎会・忘年会・慰安旅行への参加も仕事のうちという時代です。
旧財閥系大手金融機関から内定をもらった同級生は体育会系女子運動部の出身。お仕事は、外勤の男性社員と一緒に外回りをして笑顔をふりまき、相手のご機嫌を取ること。バブル時代はそんな接待要員採用枠もありました。そういうことが「優秀」という評価の一部だったのです。
◆オジサンたちが社会人としてのあり方を学んだのは「夜」だった
オジサンはこの価値観の中にいます。そして「つきあい」「接待」の優秀さで出世していく人もいます(それを否定はしません。そういうところで見える能力・心遣い・人柄は、昼の仕事の優秀さにつながることも多いですから)。というわけで、若手が入ってくると、OJTの一環として飲みに行こうとします。
しかし、これ「業務時間外」なのです。
オジサンは「業務時間外」の働き方も評価対象でした。「忠誠心」です。そこには「自己犠牲」が伴っているのですが、「業務時間+業務時間外」=「仕事の仕組み(ルーティン)」になっているので、「社会人ってのはこーゆーものなんだ」と素直に受け入れてしまった部分があります。
働き方改革は、業務時間内に仕事や人間関係を教えること、学べること、そういう職場組織・環境に変えていくことからと感じます。
◆オジサンたちにとって「出世」とは何か
オジサンは、みんな出世したいわけではありません。
上の世代に比べれば「小市民」で、家族や自分の時間を大切にしたい方です。
それでも、若い日には「上の世代への不満」「社会への批判的精神」「理想」を語っていました。その時、上の世代から学んだのは「自分の理想を実現したいなら、偉くなるしかない」です。つまり「より良い未来」「理想社会の実現」のため、「それなりの地位・立場に就くこと」を志したのです。
やがて「自分の理想の実現」が可能な「地位・立場」に就きます。しかし、その時「時代は変わり、価値観が異なり、元号も変わって」いました。当然ながら「昭和・平成の常識は、令和の非常識」。若き日に抱いた理想は、すでに時代と社会から乖離していたのです。
ここで、出世したオジサンは二つのタイプにわかれます
・自己の理想の実現を目指し、リーダーシップを発揮する人
・時代の変化を読み取り、若手に任せて後方支援(サーバントリーダーシップ)に回る人
前者はパワハラ・オジサンになり、後者は自分の理想を胸にしまいます。
◆オジサンの末路
オジサンたちは「自分の理想」から離れられない部分があります。それを支えに頑張ってきたわけですから。また、同世代間では「自分の理想はみんなの理想」「自分の怒りは市民の義憤」です。
しかし、世代が変われば「それはあなた個人の理想」「個人の理想を仕事に持ち込まないで欲しい」という客観的な批判の対象になります。
それが「昭和の価値観=封建的な言動」を伴うと「パワハラ」です。「利己的」「部下に自己犠牲を強いる」がオジサンの評価になります。
◆若者の理想
若者を「個人主義だ」と批判するオジサンもいます。
しかし、若者は「自分の幸福を実現するため」に大学で学び、就職しているのではありません。
若者は「自分以外の人の幸福の実現」を理想として学びを進め就職します。「よりよい未来の創造」をテーマに学び、「公共の価値観」を大切にしています。そういう人が、高校・大学の受験、就職試験で勝ち残っているのです。
一方でオジサンは「過去の経験」に引きずられ、「個人の幸福」を求めています。
オジサンは「過去と個人」、若者は「未来と公共」。ここに世代の壁があります。
オジサンが、こうした傾向に気付き、若者の知識・経験・学び・能力・人柄を活用することができれば、若者は「課題発見とその創造的解決」に秀でた「即戦力」です。若者は「会社や上司のための自己犠牲」には懐疑的ですが、「公共の目的実現・課題解決のための創造的労働」には全力を尽くしてくれます。
そういう職場環境だと辞めないみたいです。
ただ、若手と上司との間で板挟みになって退職するオジサンが出る可能性がありますが(笑)
現在はオジサンとなっている人々も、「自己犠牲」は本意ではなかったはず。
でも、それを言葉にすることは許されない時代でした。
そんなオジサンが実現できなかった理想社会は、若者が実現してくれそうです。
若者に託すことがオジサンの役目。それができない老兵は消え去るのみ…。