テーマ「誰にも会わない贅沢」
6月上旬に、都内のミーティングに参加しました。それ以降、対面では誰にも会っていません。
Zoomでお話する人はいますが、食料品などの買い出し以外外出なし。
人に会わずに済む贅沢…をしみじみと噛みしめています。
◆目次
「出家」という言葉
古典文学を読むと、昔の人々は生きている間に「出家」することを願っていたようです。しかし、世間との「しがらみ」があって出家したくてもできない…という葛藤が描かれた作品もあります。
「出家」を平たく言えば「家族も財産も仕事も身分もすべて棄て、髪を降して仏門に入る」こと。出家ができない理由を「本人が決断できないから、棄てる勇気がないから」という自己責任論で切り捨てる現代人もいます。
しかし「出家」ができなかったのは、封建制度から生じる人間関係のしがらみなどから出家が許されない状況だった人もいます。
功成り名遂げ人生最後の宿題を果たすために出家して法皇となった幸運な人もいれば、花山天皇のように陰謀で出家してしまった人もいます。
出家して心穏やかに晩年を過ごした人もいれば、出家したことでタガが外れた人もいます。
「出家」は、その実現だけでなく「出家後の理想の実現」も難しいようです。
転職・早期退職・人事異動にまつわる人間関係
日本の会社組織は「終身雇用・年功序列」という封建的価値観で成立しています。
転職や早期退職は、その前提を破るわけで、これは気をつかいます。
自分の転職・退職では、迷惑を掛けないよう仁義を切り、人間関係を大切にしてきたつもりです。それでも、敵前逃亡・卑怯・弱虫などの言葉を浴びました。
異動・転勤も同様。東京から地方に行く時は「東下り」「島流し」と揶揄され、行った先でも「飛ばされたヤツがくる」と警戒されます。数年過ごして東京に戻ることになると「裏切者」「しょせんは東京の人」「出世のための踏み石にした」と言われ、戻った東京では「何で戻れた?」と言われます。ほぼ半沢直樹の世界(笑)。
もちろん、このような言葉を浴びせてくるのは一部の人です。こうした言葉は聞き流して気にしないようにしていましたが、心のどこかで蓄積されていたようです。
どこの職場にもいる人
新しい職場に入ると、最初に声を掛けていただける方。
親切な方が多く助けられることも多いです。ただ、その中には警戒しないといけない人もいます。それは、職場の人々の個人情報や評価を伝えてくる人。要するに、上司・同僚・顧客の悪口を伝えてくる人ですね。
私がまだ会ったことのない人の悪口、さっき挨拶したばかりの上司や、これから一緒に仕事を進めていく同僚の愚痴、顧客の批判…。信頼関係どころか、これからチームをという時にこういう会話をもちかけてくる人が、私はとても苦手でした。
誰にも会わない贅沢
新型コロナや災害の対応で、公務員時代の仲間たちが最前線でどんな仕事をしているか、理不尽に耐えているかを感じる今日この頃です。それでも「公務員だから」という理由で批判・否定する発言があります。そういう発言に触れると心身が反応し気分が沈みます。
しかし、テレビを消せば批判から離れることができます。人に会わなければ悪口を聞くこともありません。まして同調を強いられることもありません。文学、音楽、数学を通じて美しいものに触れ、禁欲的な生活は心身の浄化になります。
4月は「世間から離れる」ことに罪悪感がありました。しかし、今は「世俗から離れて穏やかな暮らしをすること」が自分の役割と思うようになりました。昔の人が「出家」に憧れたのは、「美・浄・穏」の心境だったのかもしれません。悟りはその先にあるのかも(笑)。
という心境。自己の定点観測として書き残しておきます。