テーマ「樋口一葉終焉の地のエピソード」
樋口一葉が貧しかったことは、多くの方がご存じと思います。
彼女は、11歳で小学校(私立青梅学校小学中等科)を首席で卒業します。聡明な彼女は上級学校進学を望みますが、「女性に学問は必要ない」と考える母の反対で諦めます。のち「萩の舎」に入門し、ここで学問を進めますが、樋口一葉は、その高い教養に対し、学歴は小学校卒でしかありません。
この時代、女性が稼ぐならば、教師、内職、水商売が代表的なものでした。彼女の教養ならば「教師」にもなれたと思いますが、学歴で不可能だったのです。となると、内職か水商売しかありません。
そんな時、一葉は「萩の舎」同門の女性が、坪内逍遥に師事して小説家としてデビューし「原稿料」を稼いだという話を聞きます。そこで彼女は「半井桃水」に師事して小説を学び、「原稿料」を稼ごうとしたと言われています。
彼女は小説家としてデビューし、その作品は「森鷗外」らに絶賛されます。しかし、貧しさから抜け出すほどの「原稿料」を稼ぐことはできなかったようです。
樋口一葉終焉の地は文京区西片にあります。
詳しくは↓。
www.city.bunkyo.lg.jp
樋口一葉が亡くなった数年後、この家で「森田草平」が暮らし始めます。
東京帝国大学英文科の学生であった森田草平は、やがて「夏目漱石」の弟子となり、その庇護を受けます。
それと時を同じくして、ある勉強会で知り合った女性とただならぬ関係に落ちます。
その女性の名は「平塚明子(はるこ)」。のちの「平塚雷鳥」です。
二人は明治41年3月、塩原温泉で心中未遂事件を起こします。世に言う「煤煙事件」です。↓二人が心中前夜に宿泊したと言われる宿(満寿屋)↓
樋口一葉の終焉の地は、森田草平が暮らし、その森田を訪ねて「夏目漱石」や「平塚雷鳥」が訪れた場所です。樋口一葉の文才を高く評価しその葬列に参加した「森鴎外」もです。
今では気付く人も少なくなった樋口一葉終焉の地。
ここは、樋口一葉、森鴎外、夏目漱石、森田草平、平塚雷鳥の人生が一瞬交わった場所、明治日本を象徴するエピソードを秘めた地なのです。