テーマ「バブル世代の早期退職願望」
現代は「長く働き続けることが奨励」されています。
そんな時代の要請、政府の意向に逆らうように早期退職しました。55歳での退職は、「思い付き」ではありません。と言って「用意周到」でもありません。振り返ると、節目節目で思うことはあったようです。今日はそんなお話
社会人1年目にはすでに…
都内の私大を卒業して就職したのは、都内の民間企業。
折しも時代は「バブル」。美徳は「たくさん働いて、たくさん遊ぶ」。
不動産会社に就職した友人は、不動産投機用に自社物件を購入し、その売買と家賃収入で会社の給与以上の収入を得て豪遊していました。「フリーター」を選択した友人は、アルバイトでお金を貯め、ある程度貯まったら南の島でのんびり暮らし、お金がなくなったら帰国してまた働くを繰り返していました。バブルの頃、月収なら正社員よりアルバイトの方が高かったのです。
二人の暮らしを羨望の思いで見守りつつ、普通にサラリーマンとなった同世代とは「今は頑張って働くけど、年を取ったら早めに退職してのんびりが理想だね」と語り合っていました。バブル世代の価値観の一つだったと言えます。
早期退職という言葉の真意
「早めに退職して…」は、怠け者の願望ではありません。現代の価値観だと「ブラック労働」「パワハラ」「滅私奉公」でしかなかった仕事の日々を支える「モチベーションの言葉」だったのです。
夜は上司の誘いで二次会、三次会。終電で帰宅できれば早い方。タクシー争奪戦を経てまず上司を送り、やっと帰宅。それでも翌日は早めに出社して、上司の机上の灰皿をきれいにし、給湯室でお湯を作り、新聞をファイルしてが新人のオキテ。「♪24時間戦えますか」です。
もちろん、それはそれで充実もしていました。
「接待」を通じて、夜の銀座、神楽坂の料亭の文化に触れたこと。男芸者に徹することで「契約」が成立していくこと。社外の人脈作りが「ビジネス」を産むこと。小説・ドラマの世界でしかなかった「日本の企業文化」をリアルに体験し、そこから学ぶことはたくさんありました。しかし、そこには「裏」もあるわけで、それを飲み込んで「会社員としての成功」を目指すのか、「個人の幸福」を優先するのか、ここは選択と決断が必要です。
「島耕作」か「釣りバカ」か
どちらにもなれなかったのですけどね(笑)。
そもそも「出世を望んでも、そんな能力はない」わけで、私の場合「個人として生きること」の一択です(笑)。幸い、周囲に恵まれ、少しずつ人脈が広がっていました。そんな時、ある方から声をかけていただきました。いろいろ考えましたがダメ元で願書を出し、筆記・面接の一次試験、論文・面接の二次試験を経て合格通知が来ました。民間から公務員への転職です。
転職して公務員となり、収入はガクンと下がりました。公務員としての給与が、民間企業にいた20代の給与金額を上回ったのは40歳後半です。公務員への風当たりは強く、現場で罵詈雑言を浴びることもありました。ただ、良かったこともあります。出世しなくても仕事で生きていく道があるのですね。
私は自分の得意分野を希望し、配属先の現場で専門性を深めていくことを繰り返しました。そうなるとどうなるかと言うと「転勤人生」になります。東京~関東~関西~東北~東京~沖縄~東京という、左遷か懲罰みたいな人事ですが、「エキスパート型公務員」としていろんな場所で仕事ができるのは、旅好きな私にとって楽しく、充実した日々でした。
早期退職を現実に考え始めるきっかけ
東京育ちの私。異動で地方を巡る中、「田舎暮らし」への憧れを持ちます。
この時「早期退職」と「地方転住」とが結びつきます。地方都市は「物価が安い」「渋滞がない」「スキー場が近い」「食べ物がおいしい」…つまり「個人の幸福の充実度が高い」のです。
ちょうど東北赴任中でした。温泉と蕎麦、四季のうつろい、生活の便利さ、医療・教育・文化の充実などの条件を満たす某市にマンションを購入しました。ここで東日本大震災に遭遇しましたが、退職したら東北の復興のためにボランティアで街づくりに参加するという目標もできました。
そんなわけで、ここから早期退職への本格的な準備が始まるのですが、この時、すでに40歳を過ぎていたのでした…
(続く)